建長寺は鎌倉を代表する観光スポットで、広い伽藍や三門は見応えも充分にあります。桜や紅葉も楽しめ、国宝と重要文化財と共に美しい景観も楽しめます。中でも仏殿は巨大な本尊と格子天井が見ごたえがあり、ため息がでるほどに素晴らしいのです。
度重なる火災で、焼け落ちましたが江戸時代に当時の伽藍配置のままに再建され鎌倉時代の様子を見ることが出来ます。大地と包容力を象徴する地蔵菩薩は、鎌倉幕府の安泰を願ったものとして非常に大きなもので豪華絢爛な仏殿に安置されています。
そして、開堂説法には関東の学徒が多く集まり佇聴しました。日本臨済宗の開祖は寿福寺で修禅をかさねていた栄西ですが、実際に臨済宗が広まっていったのはその没後40年のこの大覚禅師の建長寺からだとされています。
そして、元々この土地にあった心平寺の旧本尊地蔵菩薩坐像などがなどが祭られています。禅寺で本尊が地蔵菩薩というのは珍しいそうです。
建長寺が建てられている谷は、もとは処刑場で、処刑された者の死後の救済のため地蔵菩薩を本尊とする心平寺が建てられました。そのため、地蔵菩薩を本尊としたといわれています。
また京都建仁寺で後嵯峨上皇に宗要を説いたことでも知られています。北条時宗の後援で建長寺に再住、円覚寺建立のために寺地を選定しました。鎌倉禅宗の基礎を築き、後世に大きな影響を与えた渡来僧として広く知られています。
「巨」の字が勢い余って一点加わったことで百貫の重みが増したということで「百貫点」と呼ばれているとそうです。
三門は、国重要文化財となっている建物です。創建間もない頃、施餓鬼会を行った直後に騎馬武者姿の梶原景時(かじわら かげとき…鎌倉幕府初期の有力御家人、源頼朝の死後に追放され、一族とともに滅ぼされた)の亡霊が現れたという言い伝えがあります。
それ以来、7月15日の三門施餓鬼会に引き続いて、もう一度梶原施餓鬼会を行うのが習わしになっているそうです。
こちらの仏殿も国重要文化財になっている基調なものです。もともと霊廟建築として造られたものだそうで、屋根や天井などの形式が一般的な禅宗の仏殿とは異なっています。屋根は入母屋造でなく寄棟造で、天井は禅宗仏殿では平板な「鏡天井」となっています。
法堂は建治元年(1275)の創建ですが、現存のものはは1814年(文化11)に上棟されたものと言われています。法堂は、仏殿よりは新しいのですが、この2つが並んだ様子を眺めるととっても迫力と趣を感じます。
意匠は桃山風で、ゆったりとしたおおらかな様子を感じることができます。唐門(からもん)とは屋根に唐破風(からはふ)があることで、中国式の門と言う意味ではないそうです。方丈の中には、宝冠釈迦如来像が安置されています。
華厳塔があったことを示す物として、建長寺の宝物に『建長寺伽藍指図(さしず)』(1331年 元弘元年)という創建当時の伽藍を描いた設計図がありますが、塔の詳細については今もなお、よく分かっていないそうです。
禅師につき従っていた男が、薪採りや水汲み食事の用意などをしていたので、「飯僧」と呼ばれ、その後に「半僧坊」と呼ばれるようになったと言われています。この男性は、禅師が中国での修行を終え帰国する途中で嵐に遭った際に禅師を助けたともいわれています。
建築物としては国の重要文化財となっています。「お江・崇源院」、織田信長の妹お市の方と浅井長政との間に生まれ徳川秀忠に嫁ぎました。鎌倉の建築に徳川将軍の御台所の御霊屋が合わさった非常に贅沢なものでもあるのです。
格子天井には鳳凰等の花鳥図が美しく、室町時代の足跡を見ることが出来ます。本尊は、台座を含めて5mの虚像と豪華絢爛な素晴らしいものです。
煩悩を払いのけて『おびんづるさま』を撫でると鬼も落ちて悟りを開けるそうです。方丈庭園初代の住職 作の庭園の見どころは『心字池』。真上から見ると池の形が『心』になっているとか。禅の心を池に表した、珍しい池のある庭には凛とした空気さえ漂っています。
初代住職の は参道の両脇にあるビャクシンを中国から持ってきたそうで、火災にも巻き込まれず今も元気な姿を見せています。既に樹齢が750年の大木は鎌倉の天然記念物にもなっているのです
初代住職の蘭渓道隆 は参道の両脇にあるビャクシンを中国から持ってきたそうで、火災にも巻き込まれず今も元気な姿を見せています。既に樹齢が750年の大木は鎌倉の天然記念物にもなっているのです。
これは鐘楼にかけたそうで今では、国宝となっています。当時は三門の東南の山腹にあったそうですが、18世紀末に現在の場所に移したんだそう。鐘をつくった鋳物師は、当時の関東で最高の技術者といわれた物部重光です。
建長寺では、国宝になっている「蘭渓道隆像」や「法語規則」をはじめ、賢江祥啓の「三十三観音像」、「北条時頼坐像」などの重要文化財が展示されています。また、円覚寺では、宝物拝観に併せて、無学祖元の塔所正続院の国宝「舎利殿」が特別公開されます。
建長寺も来た。 何やら行事で仏殿までしか入れなかったけど無料拝観できたし、お坊さんがたくさんいらっしゃった。 pic.twitter.com/w3pA7AfdXP 北鎌倉 建長寺 鎌倉青年会議所が建長寺の境内で夜会、鎌倉の美味しい店が夜店するそう。ちょっとのぞきに、仏殿に万華鏡が映し出されてきれいだった。 pic.twitter.com/YwHbWuod62
建長寺 仏殿とは?
http://www.uraken.net/sozai/15kanagawa/kabegami.html
鎌倉五山第一位と日本では最も古い禅寺で、鎌倉の寺と言えば先ずは建長寺と言われています。鎌倉幕府五代将軍北条時頼が創建した寺で、宗の様式を取り入れた境内は重要文化財にも指定されています。度重なる火災で、焼け落ちましたが江戸時代に当時の伽藍配置のままに再建され鎌倉時代の様子を見ることが出来ます。大地と包容力を象徴する地蔵菩薩は、鎌倉幕府の安泰を願ったものとして非常に大きなもので豪華絢爛な仏殿に安置されています。
建長寺 仏殿の歴史
http://blog.livedoor.jp/yurinoki32/archives/51638159.html
建長寺は5代執権北条時頼によって建長五年(1253)11月に創建されました。5代執権北条時頼は、建長五年(1253)11月、そのときの元号を冠した建長寺を創建し、禅師を請して開山説法を乞いたそうです。そして、開堂説法には関東の学徒が多く集まり佇聴しました。日本臨済宗の開祖は寿福寺で修禅をかさねていた栄西ですが、実際に臨済宗が広まっていったのはその没後40年のこの大覚禅師の建長寺からだとされています。
本尊の地蔵菩薩
http://org.skr.jp/2014/05/15/%E3%81%84%E3%81%96%E3%80%80%E9%8E%8C%E5%80%89-3-%EF…
堂内には、本尊の地蔵菩薩像(室町時代の作、像高2.4メートル)を中心に、伽藍神像、千体地蔵菩薩立像、千手観音坐像が安置されています。そして、元々この土地にあった心平寺の旧本尊地蔵菩薩坐像などがなどが祭られています。禅寺で本尊が地蔵菩薩というのは珍しいそうです。
建長寺が建てられている谷は、もとは処刑場で、処刑された者の死後の救済のため地蔵菩薩を本尊とする心平寺が建てられました。そのため、地蔵菩薩を本尊としたといわれています。
渡来僧・蘭渓道隆について
http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_e2da.html
蘭渓道隆は、鎌倉時代の臨済宗の渡来僧です。来日して京都泉涌寺の来迎院に寄寓、鎌倉寿福寺などに歴住した後に北条時頼の帰依を受け建長寺開山となりました。また京都建仁寺で後嵯峨上皇に宗要を説いたことでも知られています。北条時宗の後援で建長寺に再住、円覚寺建立のために寺地を選定しました。鎌倉禅宗の基礎を築き、後世に大きな影響を与えた渡来僧として広く知られています。
創建当時の面影を残す伽藍
総門
http://www.uraken.net/sozai/15kanagawa/kabegami.html
まず、建長寺に行くと目につくのが、総門です。総門は、別名で巨福門(こふくもん)と呼ばれています。正面にある額の「巨福門」の文字は第十代住職一山一寧によるものだとされており、今でも門をより一層きわだてています。「巨」の字が勢い余って一点加わったことで百貫の重みが増したということで「百貫点」と呼ばれているとそうです。
三門
http://kamaiko.net/kentyouji2.html
それ以来、7月15日の三門施餓鬼会に引き続いて、もう一度梶原施餓鬼会を行うのが習わしになっているそうです。
仏殿
http://blog.livedoor.jp/twuntuwn/archives/1003831752.html
現在ある仏殿は東京・芝の増上寺の霊廟が1647年に移築されたものです。本尊として禅寺としては珍しく巨大な地蔵菩薩坐像が安置されています。こちらの仏殿も国重要文化財になっている基調なものです。もともと霊廟建築として造られたものだそうで、屋根や天井などの形式が一般的な禅宗の仏殿とは異なっています。屋根は入母屋造でなく寄棟造で、天井は禅宗仏殿では平板な「鏡天井」となっています。
法堂
http://wp02k.kyoto-kabegami.com/403_kenchoji/005.html
仏殿の後ろには法堂があります。大法を説く堂、古代寺院では講堂に当たると言われています。そして、現在は千手観音像とパキスタンからきた釈迦像を安置している場所となっています。法堂は建治元年(1275)の創建ですが、現存のものはは1814年(文化11)に上棟されたものと言われています。法堂は、仏殿よりは新しいのですが、この2つが並んだ様子を眺めるととっても迫力と趣を感じます。
方丈
http://blog.livedoor.jp/castlenavi/tag/%E5%BB%BA%E9%95%B7%E5%AF%BA
仏殿と同じく江戸時代に芝増上寺の崇源院(徳川秀忠夫人)の霊屋から移築したものが、方丈です。こちらも国の重要文化財となっています。意匠は桃山風で、ゆったりとしたおおらかな様子を感じることができます。唐門(からもん)とは屋根に唐破風(からはふ)があることで、中国式の門と言う意味ではないそうです。方丈の中には、宝冠釈迦如来像が安置されています。
華厳塔跡
http://kamakura8.blogspot.jp/2014/11/blog-post_37.html
建長寺には、創建当時から「華厳塔」と呼ばれた塔があったそうです。それは、三重塔とも五重塔とも、さらには七重塔だったという説まであるんですよ。華厳塔があったことを示す物として、建長寺の宝物に『建長寺伽藍指図(さしず)』(1331年 元弘元年)という創建当時の伽藍を描いた設計図がありますが、塔の詳細については今もなお、よく分かっていないそうです。
半僧坊
http://kamakura.nyanchew.com/jp/content/%E5%8D%8A%E5%83%A7%E5%9D%8A%EF%BC%88%E5%…
半僧坊大権現は、建長寺の鎮守です。建長寺裏山の中腹くらいの場所にあります。後醍醐天皇の皇子「無文元選禅師」(むもんげんせんぜんじ)が開いた静岡県浜松市にある方広寺が半僧坊の本元とされています。 禅師につき従っていた男が、薪採りや水汲み食事の用意などをしていたので、「飯僧」と呼ばれ、その後に「半僧坊」と呼ばれるようになったと言われています。この男性は、禅師が中国での修行を終え帰国する途中で嵐に遭った際に禅師を助けたともいわれています。
建長寺 仏殿の魅力
http://yokohama-koharu.blog.so-net.ne.jp/2015-07-22
仏殿の装飾が素晴らしく、これを見ずして鎌倉は語れずとも言えるもの。現在の仏殿は、芝増上寺の徳川二代将軍秀忠の御台所である「お江・崇源院」の御霊屋が移築されたもの。建築物としては国の重要文化財となっています。「お江・崇源院」、織田信長の妹お市の方と浅井長政との間に生まれ徳川秀忠に嫁ぎました。鎌倉の建築に徳川将軍の御台所の御霊屋が合わさった非常に贅沢なものでもあるのです。
建長寺 仏殿の見どころ・お勧めスポット
1、巨大な本尊と優美な天井
http://blog.livedoor.jp/michi37986525/archives/54446645.html
現在の仏殿は、増上寺(東京)から移築されたもので、徳川家忠の本妻『お江』の霊屋であったものです。禅宗様式の建築に、江戸初期の装飾がされているのはこの様ないわれがあるため。格子天井には鳳凰等の花鳥図が美しく、室町時代の足跡を見ることが出来ます。本尊は、台座を含めて5mの虚像と豪華絢爛な素晴らしいものです。
2、山門
http://www.uraken.net/sozai/15kanagawa/kabegami.html
大きく聳え立つ山門は三門(三解脱門)とも言い、三度くぐれば解脱出来ると言われています。複雑な木組みではありますが、壁も門戸もなく仁王像もないシンプルなもの。煩悩を払いのけて『おびんづるさま』を撫でると鬼も落ちて悟りを開けるそうです。方丈庭園初代の住職 作の庭園の見どころは『心字池』。真上から見ると池の形が『心』になっているとか。禅の心を池に表した、珍しい池のある庭には凛とした空気さえ漂っています。
初代住職の は参道の両脇にあるビャクシンを中国から持ってきたそうで、火災にも巻き込まれず今も元気な姿を見せています。既に樹齢が750年の大木は鎌倉の天然記念物にもなっているのです
3、方丈庭園
http://blog.livedoor.jp/fukutomi_dental/archives/168929.html
初代の住職「 蘭渓道隆 」作の庭園の見どころは『心字池』。真上から見ると池の形が『心』になっているとか。禅の心を池に表した、珍しい池のある庭には凛とした空気さえ漂っています。初代住職の蘭渓道隆 は参道の両脇にあるビャクシンを中国から持ってきたそうで、火災にも巻き込まれず今も元気な姿を見せています。既に樹齢が750年の大木は鎌倉の天然記念物にもなっているのです。
国宝の梵鐘
http://blog.livedoor.jp/castlenavi/tag/%E5%BB%BA%E9%95%B7%E5%AF%BA
国宝の梵鐘は、開山・蘭渓道隆のもとで森厳な修行が始められた翌年の、建長七年(1255)二月、5代執権北条時頼は「建長禅寺ここにあり」という意をこめて作られたそうです。これは鐘楼にかけたそうで今では、国宝となっています。当時は三門の東南の山腹にあったそうですが、18世紀末に現在の場所に移したんだそう。鐘をつくった鋳物師は、当時の関東で最高の技術者といわれた物部重光です。
恒例行事「宝物風入れ 」
http://blog.livedoor.jp/tenmokusan/archives/51855414.html
毎年、11月3日を含めた3日間、建長寺と円覚寺で宝物風入が行われ、絵画・書籍・工芸品・彫刻などの宝物を見ることができます。建長寺では、国宝になっている「蘭渓道隆像」や「法語規則」をはじめ、賢江祥啓の「三十三観音像」、「北条時頼坐像」などの重要文化財が展示されています。また、円覚寺では、宝物拝観に併せて、無学祖元の塔所正続院の国宝「舎利殿」が特別公開されます。
建長寺 仏殿を訪れた人の声
— 宵@もふパラN43 (@atheneum4141) 2014, 11月 18
— Aya takamatsu (@haveagoodnap) 2014, 8月 24
建長寺 仏殿の詳細
http://blog.livedoor.jp/aqupa/archives/4259627.html
基本情報
- ・名称:建長寺 仏殿
- ・住所:鎌倉市山ノ内8
- ・アクセス:北鎌倉から徒歩15分
- ・拝観時間:8:30~16:30
- ・定休日:無休
- ・電話番号:0467-22-0981
- ・料金:大人 300円、小人 100円
- ・所要時間:45分~
- ・オススメの時期:
- ・公式サイトURL:http://guide.city.kamakura.kanagawa.jp/