スペイン・アンダルシア州の州都であるセビリアは、スペイン南部の政治、文化、経済の中心的な役割を果たすスペイン第4の大都市です。特に「セビリアの春祭り」は「パンプローナの牛追い祭り」「バレンシアの火祭り」と並んでスペインの三大祭と呼ばれています。春祭り、という呼び名で日本では有名ですが、ただ「春」というのではなく、キリスト教においてとても重要な祭事、復活祭(イースターの呼び名の方が日本では有名ですね)に向けての大切なステップなんですよ。
スペインではこの春祭りの期間をSemana Santa(セマナサンタ 聖週間)といいます。国民の大多数がカトリック、というスペインの中でも、このセビリアにある大聖堂は、実に様々な見どころ満載です。
祭壇衝立には聖書の場面などが細かく彫刻されています。そして、豪華な黄金彩色です。新大陸発見が、スペインの繁栄の始まりだったのでしょうか。その繁栄の結果、新大陸からの黄金で主祭壇の巨大な祭壇衝立ができあがったようです。期待以上の素晴らしさです。高さ20メートル、幅13メートルで260㎡もある衝立は、その全面にわたる細かい彫刻で見る者を圧倒します。 スペインの歴史・文化の宝物がいっぱい詰まった大聖堂。その豪華さに圧倒された。v(^^)/ ところどころにそれほど大きくないステンドグラスがあって、いいポイントになっている。
中央部分に位置する黄金色の木製祭壇は思わず息を呑むほどすばらしい作りだ! 確かに、聖堂というよりお城。。。?規模がすごすぎる! 聖具室や聖杯室はゴヤ、リベラなどの作品が飾られ、まるで美術館のように堪能できる。
・・・じゃぁ、司教ってなに?って思いましたか(笑)?会社組織的に簡単にご説明しますと、ローマ教皇が社長、枢機卿が専務、大司教が部長、司教が課長。こんな感じでしょうか。小さな教会にはカテドラはありません。だから、カテドラルとは言わないんです。iglesia(イグレシア)と名前がついているところが大半です。主任がリーダーをやってる小さなプロジェクトに部長が常駐していたら・・・ドキドキしちゃいそうです(笑)
ちなみに、カトリック教会には、バシリカ、と呼ばれるものがありますが、これは、ローマ教皇より公式に認められた教会しか名乗ることができず、一般の教会よりも上位の教会として扱われます。(日本にはバシリカはありません)
こんなに混在しているのに、全体をみると上手くまとまっていて、とても美しいのです。
衰退をはじめたローマ帝国の支配下にあったイベリア半島は、6世紀、西ゴート王国によって統一されました。が、8世紀にはイスラムのウマイヤ朝によって西ゴート王国は滅ぼされ、後ウマイヤ朝→ムラービト朝→ムワッヒド朝、と、以降500年以上にわたってイスラム文化の中にありました。13世紀に入り、レコンキスタ(国土回復)のうねりに乗り、セビリア周辺はキリスト教圏にもどります。1492年、グラナダに最後まで残っていたイスラムも陥落して、イベリア全土、レコンキスタ完了、となります。
500年以上イスラムだったことを考えれば、文化の融合、混在もうなずけますね。
セビリアの近くには、グアダルキビル川という大きな河川があり、とても肥沃な大地でした。作物も豊富に採れ、また、海からそのまま大型船も入ってこられることから交易もしやすい位置にありました。そのため、イベリア半島西岸ともつながっていることから、港湾都市として非常に栄え、一時期はスペイン第1の人口を誇るほどでした。
レコンキスタ完了後、少し勢力範囲をうつしたイスラムは、オスマン帝国となり、地中海貿易をほぼ牛耳る形になり、イベリア半島勢(スペイン、ポルトガル)は、仕方なく大航海時代へと入っていくのですが、新大陸を発見したコロンブス率いるスペインは、新大陸からの交易品が入ってくるだけでなく、金も採掘され、一気に勢いを増していきました。
うんうん。お金持ちです、間違いない。
このマリア信仰の強さは、セビリアの春祭りSemana Santaにも表れています。イエス様やマリア様など、各教会の守護聖人の像をつくり、Pasoと呼ばれるお神輿のようなもので担いで厳かに歩くのですが、目を見張るのはその大きさ。大きなもので1t以上あります。しかも、担いでいる人たちは台座の下、幕で囲われていて外が見えません。あたかも、その巨大な像がひとりでゆっくり歩いているかのように見せるためと言われます。騎馬隊やブラスバンドが先導します。一番人気はやはりマリア様の像だそうですよ。
セビリアのカテドラル、気になってきませんか?キラキラの祭壇見て、コロンブスのお墓見て、有名な絵画も見て。百聞は一見に如かず、と言います。もちろん、本物を実際に見ることが良いのですが、その前に少しでもその時代背景とか、なぜ有名なのか、とかを知ってから見ると、より深い感動が味わえると思います。スペインへの旅行を考えるなら、ぜひセビリアも訪れてみてください♪
オマケ。
大航海時代、というゲームをやったことある人なら、きっと、より楽しいかもしれません(笑)
素材提供:トリップアドバイザー
スペインではこの春祭りの期間をSemana Santa(セマナサンタ 聖週間)といいます。国民の大多数がカトリック、というスペインの中でも、このセビリアにある大聖堂は、実に様々な見どころ満載です。
セビリア大聖堂(カテドラル)とは?
http://es.wikipedia.org/wiki/Catedral_de_Santa_Mar%C3%ADa_de_la_Sede_de_Sevilla
セビリア大聖堂、正式名称Catedral de Santa María de la Sede de Sevilla(カテドラル・デ・サンタ・マリア・デ・ラ・セデ・デ・セビリア)。「後世の人々が我々を正気の沙汰ではないと思うほどの巨大な聖堂を建てよう」と、1401年にモスク跡地に建て始められ、100年かけて完成しました。キリスト教建築とモスクの名残が見事に調和した非常に美しい大聖堂です。http://unratodearte.blogspot.com.es/2013_03_08_archive.html
奥行き116m、幅76mあるセビリア大聖堂は、スペインで最大、ヨーロッパの聖堂としては第3の規模です。セビリア大聖堂は「セビリアの大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館」の一部としてユネスコの世界遺産に登録されています。セビリア大聖堂の見どころ
http://www.fuenterrebollo.com/Heraldica-Piedra/sevilla-catedral.html
セビリア大聖堂内には多くの見どころがあります。その中でも特にオススメの5つを紹介します。黄金色の木製祭壇(内陣)
http://huidadelmundanalruido.zoomblog.com/archivo/2010/08/16/la-Catedral-De-Sevi…
何と言ってもこの大聖堂で印象的なのはカトリックで世界最大といわれる「黄金色の木製祭壇」。大聖堂内の中央付近にあります。イエス・キリストと聖母マリアの生涯が45場面にわたり彫刻されています。アンダルシアはマリア信仰が根強く、この祭壇からもそれがわかります。大きさももちろんですが、その素晴らしさはただただ圧巻。コロンブスの墓
http://www.porsolea.com/tag/catedral/
コロンブスと言えば、大航海時代にスペインの援助を受け新大陸を発見し、スペインに富をもたらした人物として有名です。1506年スペインのバジャドリッドで亡くなったコロンブスの遺骨がセビリア大聖堂に納められたとされています。しかし、その後、1542年にドミニカ共和国のサント・ドミンゴ教会に移されたという説もあります。棺を担いでいるのは当時、スペインを構成していた4つの国の王だそうです。ヒラルダの塔
http://matemolivares.blogia.com/2014/052501-la-giralda-de-sevilla-geometria-y-pa…
元々モスクのミナレットだったものに16世紀、プラテレスコ様式の鐘楼が付けられました。ヒラルダの塔(La Giralda)は、風見を意味する「ヒラルダ(giralda)」に由来しているとおり、塔頂には風見(風向計)として、信仰を象徴する女性像があります。塔の高さは97m。この塔は階段ではなく、馬で駆け登れるように螺旋状のスロープになっており、高さ約70mにある展望台からはセビリアの街を一望することができます。セビリア観光では、ヒラルダの塔を目印にすると道に迷うことはないでしょう。聖歌隊席
https://geolocation.ws/v/P/63629951/coro-de-la-catedral-de-sevilla/en
大聖堂内の中央付近に位置する「聖歌隊席」。立派なパイプオルガンが両側上部にあります。15世紀のまま時が止まっているような美しさです。サン・アントニオ礼拝堂
http://maravillasdeespana.blogspot.com.es/2012/12/sevillaque-maravillael-salvado…
サン・アントニオ礼拝堂で注目すべきはセビリア出身の画家ムリーリョ(1617-1682)が描いた『サン・アントニオの礼拝』。ムリーリョは日本ではあまり名の通った画家ではありませんが、スペインでの人気は絶大。彼の作品は甘美な聖母像や、愛らしい子どもの絵が特徴的です。サン・アントニオは捜し物の聖人なだけでなく婚姻・花嫁の守護聖人でもあるそうです。この絵のサン・アントニオの部分だけが過去に盗難にあったそうですが、無事戻ってきたそうです。セビリア大聖堂を訪れた人の声
http://sarai2551.blog.fc2.com/blog-entry-513.html?sp
http://blogs.yahoo.co.jp/kawataka1949/47052468.html
中央部分に位置する黄金色の木製祭壇は思わず息を呑むほどすばらしい作りだ!
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2700/sp-5day.html
http://huglog.jp/2015/03/02/12431/
http://huglog.jp/2015/03/02/12431/
セビリア大聖堂の基本情報
■ 基本情報
- ・名称: セビリア大聖堂
- ・住所: Avenida de la Constitución, s/n SEVILLA
- ・アクセス: セビリアまで【電車】 マドリッド:アトーチャ駅から約2時間半
- バルセロナ:サンツ駅から約5時間半~11時間
- 【バス】マドリッド:南バスターミナルからSocibus社のバスで約6時間半
- バルセロナ:Alsa社のバスで約15~16時間
- ・営業時間: 【月】11:00~15:30【火~土】11:00~17:00【日】14:30~18:00
- ・電話番号: +34 902099692
- ・料金: 一般 9€ / 学生料金(25歳まで) 4€
- ・公式サイトURL: http://www.catedraldesevilla.es/
そもそも、カテドラルとは?
カテドラ(ラテン語で司教の座るイスのこと)がある聖堂のことをカテドラル、と言います。カトリックでは、地域ごとに「教区」という単位で分けられていて、それぞれに教区長である司教、大司教、がいます。・・・じゃぁ、司教ってなに?って思いましたか(笑)?会社組織的に簡単にご説明しますと、ローマ教皇が社長、枢機卿が専務、大司教が部長、司教が課長。こんな感じでしょうか。小さな教会にはカテドラはありません。だから、カテドラルとは言わないんです。iglesia(イグレシア)と名前がついているところが大半です。主任がリーダーをやってる小さなプロジェクトに部長が常駐していたら・・・ドキドキしちゃいそうです(笑)
ちなみに、カトリック教会には、バシリカ、と呼ばれるものがありますが、これは、ローマ教皇より公式に認められた教会しか名乗ることができず、一般の教会よりも上位の教会として扱われます。(日本にはバシリカはありません)
ゴシック建築として最大の建造物
セビリアのカテドラルはこのように表現されます。でも実は、細部をよく見てみると、様々な建築様式が混在していることがわかります。例えば、上にも挙げたヒラルダの塔ですが、もともとはモスクのミナレットだったので下の方はムデハル様式。上部の鐘楼はあとから付け足されたプラテレスコ様式(ルネサンス様式初期のもの)。塔にのぼると見えるカテドラルの屋根は間違いなくゴシックですが、あとから付け足された礼拝堂の屋根のドームはルネサンスのもの。中庭を囲むアーチはイスラム文化の代表的な特徴のひとつです。こんなに混在しているのに、全体をみると上手くまとまっていて、とても美しいのです。
歴史的な側面
これほど様々な建築様式が入り混じる理由は、やはり歴史的な背景をご紹介しなければなりません。衰退をはじめたローマ帝国の支配下にあったイベリア半島は、6世紀、西ゴート王国によって統一されました。が、8世紀にはイスラムのウマイヤ朝によって西ゴート王国は滅ぼされ、後ウマイヤ朝→ムラービト朝→ムワッヒド朝、と、以降500年以上にわたってイスラム文化の中にありました。13世紀に入り、レコンキスタ(国土回復)のうねりに乗り、セビリア周辺はキリスト教圏にもどります。1492年、グラナダに最後まで残っていたイスラムも陥落して、イベリア全土、レコンキスタ完了、となります。
500年以上イスラムだったことを考えれば、文化の融合、混在もうなずけますね。
セビリアはお金持ちだった?
カテドラルの黄金色に輝く祭壇を見ると、いろいろ考えてしまいます。いくら熱烈な信仰心があっても、お金がないと、金で装飾できません。その理由を追ってみます。セビリアの近くには、グアダルキビル川という大きな河川があり、とても肥沃な大地でした。作物も豊富に採れ、また、海からそのまま大型船も入ってこられることから交易もしやすい位置にありました。そのため、イベリア半島西岸ともつながっていることから、港湾都市として非常に栄え、一時期はスペイン第1の人口を誇るほどでした。
レコンキスタ完了後、少し勢力範囲をうつしたイスラムは、オスマン帝国となり、地中海貿易をほぼ牛耳る形になり、イベリア半島勢(スペイン、ポルトガル)は、仕方なく大航海時代へと入っていくのですが、新大陸を発見したコロンブス率いるスペインは、新大陸からの交易品が入ってくるだけでなく、金も採掘され、一気に勢いを増していきました。
うんうん。お金持ちです、間違いない。
マリア信仰
主祭壇のキラキラを見ているだけで満足しがちですが(笑)、肝心なところを見落とさないでくださいね。キリスト教、っていうのだから、拝む対象はキリストだろう、と思われますよね。でも、よく見ると、こちらの祭壇、中央はイエスの母、マリア様です。イエス様が完全なる神、だとすればイエスの母マリアは神の母。崇められるのは当然かもしれませんが、セビリアは特にマリア信仰が強いのです。ちょっと不思議ですよね。このマリア信仰の強さは、セビリアの春祭りSemana Santaにも表れています。イエス様やマリア様など、各教会の守護聖人の像をつくり、Pasoと呼ばれるお神輿のようなもので担いで厳かに歩くのですが、目を見張るのはその大きさ。大きなもので1t以上あります。しかも、担いでいる人たちは台座の下、幕で囲われていて外が見えません。あたかも、その巨大な像がひとりでゆっくり歩いているかのように見せるためと言われます。騎馬隊やブラスバンドが先導します。一番人気はやはりマリア様の像だそうですよ。
文化的な視点から
セビリアを題材にしたものなどを主にご紹介していきましょう。オペラ
■ セビリアの理髪師
- ・作者: ピエール・ド・ボーマルシェ
- ・作者国籍: フランス
- ・発表年:1775年
- ・あらすじ:莫大な資産を持つ令嬢と若い貴族の仲を取り持つ理髪師、フィガロの物語。こっそりラブレターを渡したり、弟子になりすますために変装させたり・・・ドタバタな喜劇。ちなみに、モーツァルトの「フィガロの結婚」は、セビリアの理髪師フィガロのその後のお話。
■ カルメン
- ・作者: ビゼー
- ・作者国籍: フランス
- ・発表年:1874年
- ・あらすじ:ジプシーの女性、カルメンの移り気な恋の話。タバコ工場の衛兵ホセと恋仲になったカルメン。軍を脱走してまで思ってくれていたホセが少しの間帰郷している間に、若い闘牛士エスカミリオと恋仲になっていた カルメンは、嫉妬に狂ったホセに殺され、またホセも後を追う。悲劇。
フラメンコ
ジプシー発祥の音楽。ジプシー(遊牧民族)たちがスペインに移動しながら辿り着いたのは、レコンキスタ完了の頃のスペインだったのです。そのころスペインは、異教徒たちをキリスト教化するために、改宗か追放か、という強硬策をとっていました。元来からの束縛を嫌い、自由な意思を持つジプシーたちは、その影響が及ばない地域へ逃れていきました。その地域が今のセビリアやカディスでした。強硬策への不平や不満を言うとばれるので、政府側の人がわからない言葉の歌や踊りにそれらの感情が込められていて、あの情熱的なリズムや手拍子が奏でられます。闘牛
スペインの国技。大衆娯楽としても人気があったのですが、今はその座はサッカーに完全に押されています。しかも、動物愛護団体からの指摘もあり、バルセロナなどがあるカタルーニャ州では闘牛は禁止となりました。でも、ここ、セビリアや首都マドリッドでは根強い人気。人気の闘牛士の出る大きな試合のときは会場も満員、新聞にものります。以前は、闘牛は全国でテレビ中継もされていたのですが、いまはそれもなくなっています。時代の流れでしょうか・・・少し寂しい気もしますね。初めてスペインへ一人旅したときにたまたまつけたテレビで闘牛がやっていて、かなり感動したのを覚えています。懐かしいなぁ~・・・セビリアのカテドラル、気になってきませんか?キラキラの祭壇見て、コロンブスのお墓見て、有名な絵画も見て。百聞は一見に如かず、と言います。もちろん、本物を実際に見ることが良いのですが、その前に少しでもその時代背景とか、なぜ有名なのか、とかを知ってから見ると、より深い感動が味わえると思います。スペインへの旅行を考えるなら、ぜひセビリアも訪れてみてください♪
オマケ。
大航海時代、というゲームをやったことある人なら、きっと、より楽しいかもしれません(笑)
素材提供:トリップアドバイザー