今放送中の大河ドラマ「花燃ゆ」が熱い注目をあびています。これからドラマは、主人公の「美和」が貫き通す人生の後半へとすすんでいきます。それにともなって、萩の街にもたくさんの人が観光で訪れているようです。ドラマ鑑賞や実際の萩巡りの一助となればと願い、まとめてご紹介します。
「花燃ゆ」がもっとおもしろくなる!
1.松陰神社
松陰神社は、明治23(1890)年に吉田松陰を祀って建てられた神社です。もともとは杉家(松陰の実家)の私祠として土蔵造りの小祠が建てられました。その後、塾生であった伊藤博文や野村靖などが、杉家の私祠としてではなく、公祠のものとする運動が起こりました。結果、明治40(1907)年に、松陰神社は県社の社格をもつ神社となります。現在の社殿は昭和30年に新しく完成したものです。御神体は、松陰が終生愛用した赤間硯と父兄宛に書いた文書が遺言によって納められています。
旧社殿は「松門神社」と呼び、松陰の門人であった人々の霊を祀っています。学問の神として信仰が厚く、境内には、近代日本の原動力となった数多くの逸材を輩出した松下村塾や、松陰ゆかりの史跡などがあります。吉田松陰幽囚ノ旧宅も神社の隣にあります。
境内にある「吉田松陰歴史館」では、短くも激しい吉田松陰の生涯を20シーン70余体の蝋人形で再現し、松陰の一生が分かりやすく紹介されています。歴史館の前には「明治維新胎動之地」と記された石碑もあります。これは、昭和43年(1968)に明治維新100年を記念して建立されたものです。
平成21年に「松陰神社宝物殿 至誠館」が開館しました。松陰の遺墨や遺品類などが展示されており、企画展なども開催されています。オリジナルグッズなどの販売もしています。
■ 基本情報
- ・名称:松陰神社
- ・住所:山口県萩市椿東1537
- ・アクセス:東萩駅より徒歩20分
- ・電話番号:0838-22-4643
- ・公式サイトURL:http://www.shoin-jinja.jp/
2.松下村塾
松下村塾は吉田松陰が開塾した私塾と思われがちですが、実は松陰の叔父である玉木文之進が、天保13年(1842)に自宅で私塾を開いたのが始まりです。松陰も玉木文之進から学ぶ塾生であったのです。安政4年(1857)になって、28歳の松陰が松下村塾を継ぎ、主宰することになります。
松陰は身分や階級にとらわれず塾生として受け入れました。わずか1年余りの間でしたが、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎など、明治維新の原動力となり、明治新政府に活躍した多くの逸材を育てています。松下村塾の熱く激しい時代を創ったのが、吉田松陰なのです。
塾舎は、木造瓦葺き平屋建ての50㎡ほどの小さなものでした。当初からあった8畳の一室と、後に吉田松陰が増築した4畳半一室、3畳二室、土間一坪、中二階付きの部分で出来ています。講義室だった8畳の部屋には松陰の石膏像と肖像画、机が置いてあります。
1858年(安政5年)には、松陰が野山獄に再び投獄されます。また、幕末動乱期でしたから塾生の多くが地元を離れたために、松下村塾は一時途絶えます。慶応二年には再開し、馬島甫仙、河合惣太等が塾生の指導にあたっていました。
明治4年には、開塾した玉木文之進が再び塾頭となります。塾の場所も玉木自身の自宅に移しています。「萩の乱」には、前原一誠など元塾生の多数が参加しました。彼らの行動は反乱の罪に問われたため、乱の鎮定後の1876年(明治9年)に責任を感じた玉木が切腹することになります。塾は再度途絶えます。
1880年(明治13年)頃には、松陰の兄の杉民治が塾を再開しますが、1892年(明治25年)頃、杉民治が老年に至って閉塾。松下村塾と言う名前の由来は、当時、この地域が松本村と呼ばれていたことから「松下村塾」という名がつけられたと言われていました。現在は、国の史跡に指定されています。
■ 基本情報
- ・名称:松下村塾
- ・住所:山口県萩市椿東1537(松陰神社敷地内)
- ・営業時間:外観のみ見学自由
- ・電話番号:0838-22-4643
- ・参考サイトURL:http://hagishi.com/search/detail.php?d=100009
3.吉田松陰幽囚ノ旧宅
http://situurakai.seesaa.net/article/411528910.html
吉田松陰は、幕末の激動期にあって松陰独自とも言える尊王攘夷論をもっていました。そして、安政元年(1854年)には、伊豆下田でアメリカ軍艦による海外渡航を決行しようとしましたが、結果は失敗。そのため、江戸伝馬町の獄に入れられます。その後、松陰の身柄は萩に送られ、野山獄に入れられました。野山獄でも、松陰の熱き思いは変わらず、学問と獄中講義は続きました。翌年には、野山獄から釈放となり、身柄は父である杉百合之助預かりとなります。杉家の東側にあたる3畳半の一室が幽囚の場となり、謹慎生活を送ることになりました。
旧宅は国指定の史跡となっていますが、木造瓦葺き平屋建て214㎡のかなり大きい建物です。この実家である杉家の一室で、再び、読書と著述に専念することになります。松陰は家族からの薦めもあり幽囚室で孟子などを講じるようになり、次第に多くの若者が参加してきました。それが松下村塾を主宰する始まりです。
平成27年7月5日には、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。
■ 基本情報
- ・名称:吉田松陰幽囚ノ旧宅
- ・住所:山口県萩市椿東1537(松陰神社敷地内)
- ・参考サイトURL:http://hagishi.com/search/detail.php?d=100094
4.吉田松陰誕生地
http://www.hagihonjin.co.jp/blog/log/eid243.html
吉田松陰は天保元年(1830)に杉家の次男として誕生しました。元々は杉家は代々毛利家に仕え、吉田松陰の曽祖父である文左衛門の頃から萩城下川島に住んでいました。しかし文化・文政の大火に遭います。文化13(1816)年には、祖父である七兵衛が萩の松本村に転居することになりました。文政8(1825)年には、父である杉百合之助が俳人であった八谷聴雨の別荘を買い求めたのが、松陰の誕生地となります。文政11(1828)年に兄・梅太郎が生まれ、5年後の天保元(1830)年に松陰(寅次郎)が誕生します。次男であった松陰は吉田家を継ぐことになりますが、松陰は両親と一緒に住んでいました。
その後、嘉永元(1848)年に、一家は松本村清水口に移ることになります。現在の松陰神社境内に生活を移しました。したがって現在、誕生地に現存の建物はありません。大正時代に設置した間取りを示す敷石が残っている。誕生之地の石碑の揮毫は、松下村塾の門下生・山県有朋によるものです。
■ 基本情報
- ・名称:吉田松陰誕生地
- ・住所:山口県萩市大字椿東1433-1
- ・アクセス:萩循環まぁーるバス(東回りコース)「松陰誕生地前」バス停より徒歩すぐ
- ・参考サイトURL:http://hagishi.com/search/detail.php?d=100010
5.吉田松陰の墓及び墓所
http://blogs.yahoo.co.jp/kawatoshi3174/66400530.html
吉田松陰の墓は、松陰誕生地に隣接している団子岩とよばれる小高い風光明媚な場所に建っています。松陰の没後100ヵ日にあたる万延元年(1860)2月7日、生家の杉家では百ヵ忌を営み、護国山団子岩の吉田家墓地に家族や親戚、高杉晋作、久坂玄瑞をはじめ在萩の門人のほとんどが出席しました。故人の霊を弔い松陰の遺髪を埋葬したと言われています。そして百ヵ日から1週間後に墓碑を建立したようです。墓碑の表には「松陰二十一回猛士墓」、裏に「姓吉田氏、称寅次郎、安政六年己未十月二十七日於江戸歿、享年三十歳」と刻まれています。
墓前の水盤や花立は、前原一誠や久坂玄瑞、高杉晋作、入江九一ら門人17人と妹たちが名前入りで寄進したものと伝えられています。この墓所には、杉百合之助、吉田大助、玉木文之進、久坂玄瑞など一族の墓のほか、門人の高杉晋作などの松陰に関係する人の墓が立っています。
■ 基本情報
- ・名称:吉田松陰の墓及び墓所
- ・住所:山口県萩市大字椿東
- ・アクセス:萩循環まぁーるバス(東回りコース)「松陰誕生地前」バス停より徒歩すぐ
- ・参考サイトURL:http://hagishi.com/search/detail.php?d=100011
6.玉木文之進旧宅
http://s.webry.info/sp/45723082.at.webry.info/201407/article_2.html
玉木文之進は松下村塾の創立者であり、吉田松陰の叔父にあたる人です。文化7年(1810)に萩藩士杉七兵衛の三男として生まれています。11歳のときに玉木十右衛門の後を継ぎ、天保13年(1842)松下村塾を開き多くの子弟を教育しました。松陰が10歳で藩校明倫館の助教授となったときの後見人でもあります。性格は極めて謹厳で、剛直でした。明治9年(1876)の秋、松陰門下の前原一誠の起こした萩の乱を阻止出来ず、その責任をとって自刃しています。享年66歳。
旧宅は木造茅葺き平屋建てで、8畳の座敷のほか4畳の畳部屋と3畳半の玄関、4畳半の板間と土間の台所があり、別に湯殿や便所があります。
■ 基本情報
- ・名称:玉木文之進旧宅
- ・住所:山口県萩市椿東1584-1
- ・アクセス:萩循環まぁーるバス(東回りコース)「東光寺前」バス停より徒歩5分
- ・営業時間:9:00~17:00
- ・定休日:無休
- ・電話番号:0838-25-3139 (萩市観光課)
- ・料金:無料
- ・参考サイトURL:http://hagishi.com/search/detail.php?d=100047
7.久坂玄瑞誕生地
http://www.geocities.jp/hirokami1024/sisisyunjyu/genzui.htm
久坂玄瑞は、高杉晋作とともに「松下村塾の双璧」と称され、幕末の動乱期を駆け抜けていった志士です。天保11年(1840)に、萩藩医・久坂良迪(りょうてき)の三男として平安古に生まれています。17歳のときに高杉晋作らと共に松下村塾で松陰から指導を受けています。また、藩校明倫館でも学んでいます。
吉田松陰からは「防長年少第一流の才気ある男」と絶賛されています。その玄瑞は、18歳のときに松陰の妹・文(ふみ)と結婚しました。藩論を尊攘討幕に一変させた人物でもあります。英国公使館焼き打ちや下関の外国船砲撃にも参加しています。
元治元(1864)年の禁門の変(蛤御門の変)では幕府方諸軍と戦い、流弾を受け負傷。享年25歳という若さで自刃しました。久坂玄瑞の誕生地には、家屋は残っていません。現在は、長州に亡命した尊王攘夷派公卿の1人、三条実美が詠んだ追悼の和歌を刻んだ石碑が建てられています。
平成27年1月には、中央公園の一角に 久坂玄瑞進撃像が建立されました。
■ 基本情報
- ・名称:久坂玄瑞誕生地
- ・住所:萩市平安古町537-2
- ・アクセス:萩循環まぁーるバス(西回りコース)「久坂玄瑞誕生地前」バス停より徒歩すぐ
- ・電話番号:0838-25-3139 (萩市観光課)
- ・参考サイトURL:http://hagishi.com/search/detail.php?d=100005
8.楫取素彦旧宅跡
http://www.hagihonjin.co.jp/blog/log/eid334.html
楫取素彦は文政12年(1829)に、萩藩医松島瑞璠の次男として萩に生まれています。12歳の時に萩藩の儒者 小田村吉平の養子となっています。したがって小田村伊之助と呼ぶ方が分かりやすいでしょう。藩校明倫館の指導者として活躍しています。松陰との出会いもこの頃のことでしょう。後に吉田松陰の妹にあたる寿(ひさ)と結婚しました。その関係もあって、松下村塾でも指導に当たったようです。幕長戦争では幕府側との交渉にあたり成果をあげています。慶応3年(1867)、藩命により楫取素彦と改名しました。
明治9年(1876)には、現在の県知事にあたる初代群馬県令を10年間つとめています。その後、元老院議員、宮中顧問官、貴族院議員等を歴任しています。 明治14年(1881)には妻である寿を亡くし、同16年に松陰のもう一人の妹 文(美和子)と再婚することになります。大正元年(1912)没、享年84。
旧宅地は平成26年11月に東屋や園路、駐車場が整備され、楫取素彦やゆかりの人々を紹介する説明板や周辺案内図のパネルが設置されています。※写真は、楫取素彦と楫取美和子(花燃ゆ 主人公)です。
■ 基本情報
- ・名称:楫取素彦旧宅跡
- ・住所:山口県萩市椿東354-1(中ノ倉)
- ・アクセス:萩循環まぁーるバス(東回りコース)「中ノ倉」バス停より徒歩約10分
- ・電話番号:0838-25-3139(萩市観光課)
- ・参考サイトURL:http://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100095
9.旧萩藩校明倫館
http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/gyosei/kanko/photo/G_hagi/kyuhagihankoumeirinkan…
萩藩校明倫館は、享保3年(1718)に5代藩主である毛利吉元が創建しました。元々は毛利家家臣の子弟教育のために萩城三の丸(堀内)に建てた藩校でしたが、それから約130年後、嘉永2年(1849)には、城下の中心地(現在地)へと移転、規模を拡大していきました。約1万5千坪(約5万㎡)もの敷地内に、宣聖殿と呼ばれた聖廟や西側に小学舎、手習所など学問習得のための建物、東側には槍場、撃剣場、射術場などの武芸修練場、後方には水練池、北方には約3千坪の練兵場が設けられていたようです。
吉田松陰や楫取素彦(小田村伊之助)もここで家臣の子弟の指導にあたっています。創設より、慶応3年の(1867)廃館に至るまで、前後約150年の長期にわたって藩校として、幕末の長州藩の中で大きな役割を果たしました。
敷地内には、旧明倫小学校本館(昭和10年に建てられた木造4階建ての校舎)があります。平成8年に国登録有形文化財に登録されています。こちらは見学出来ませんが、剣槍術場である有備館、水泳や水中騎馬の練習が行われた水練池、観徳門などは自由に見学できます。
有備館の内部は公開されておりまして、ボランティアガイドが常駐しています(無料)。 また敷地内に、平成27年1月11日~平成28年1月10日まで、花燃ゆ大河ドラマ館が開館しています。こちらもおすすめのスポットです。
■ 基本情報
- ・名称:旧萩藩校明倫館
- ・住所:山口県萩市大字江向
- ・アクセス:萩循環まぁーるバス(西回り・東回りコース)「萩・明倫センター(大河ドラマ館前)」バス停より徒歩1分
- ・電話番号:0838-25-3139 (萩市観光課)
- ・参考サイトURL:http://hagishi.com/search/detail.php?d=100040
10.泉福寺
http://vn15.blog135.fc2.com/blog-entry-20.html
泉福寺は浄土真宗本願寺派の寺院です。こちらの寺院は、幕末に松下村塾で数多くの勤皇の志士達を輩出した吉田松陰の菩提寺となっています。本堂後方の位牌堂には、松陰の石膏像とともに位牌が安置されています。本堂には吉田家の家系図があり、明治以降に撮影された松陰の兄弟の写真とともに、松陰直筆の書などが所蔵されています。毎年5月に開催される「浜崎伝建おたから博物館」で、年に1回公開されます。見学の際には連絡されたほうが安心です。
■ 基本情報
- ・名称:泉福寺
- ・住所:山口県萩市浜崎町266
- ・アクセス:萩循環まぁーるバス(東回りコース)「御船倉入口」バス停より徒歩約4分
- ・参考サイトURL:http://hagishi.com/search/detail.php?d=100074
11.野山獄跡
野山獄跡には、安政元年(1854)海外密航に失敗した吉田松陰が投じられ、岩倉獄には従者だった金子重之助が投じられました。野山獄は士分の者を投獄する上牢とし、岩倉獄は庶民を投獄する下牢としていました。松陰は投獄後も、学問に励みました。また、獄中においても持論を展開し、講義さえ続けていました。
この野山獄には、藩内の論争に際して高杉晋作や楫取素彦ら多くの志士も入牢させられています。また十一烈士など尊皇攘夷派だけでなく、保守派の坪井九右衛門や椋梨藤太など、多くの人が処刑されたところでもあります。
現在、当時の敷地の一部を保存して記念碑などが建てられており、萩藩の波乱に富んだ維新当時の姿を偲ぶことができます。維新史を学ぶ上でも重要な史跡と言えるでしょう。
■ 基本情報
- ・名称:野山獄跡
- ・住所:山口県萩市今古萩町35-6
- ・アクセス:萩循環まぁーるバス(東回りコース)「野山獄跡入口」バス停より徒歩1分、(西回りコース)「萩グランドホテル天空前」バス停より徒歩4分
- ・電話番号:0838-25-3139 (萩市観光課)
- ・参考サイトURL:http://hagishi.com/search/detail.php?d=100003
12.文と萩物語 花燃ゆ大河ドラマ館
http://hagicity.com/blog/museum-blog/4365/
平成27年の大河ドラマは「花燃ゆ」。そのドラマ館として「文と萩物語 花燃ゆ大河ドラマ館」が、萩市の新たな観光スポットとして開館しました。開館期間は、平成27年1月11日(日)から平成28年1月10日(日)までとなっています。ドラマ館では、ドラマで実際に使用された小道具や衣装が展示されています。また、ロケメイキングの映像も上映されます。ストーリーやキャスト紹介のパネル等の展示、さらには松下村塾セット展示や記念撮影ポイントなど、大河ドラマの世界観を存分に体験できるスポットとなっています。
他にも、大河ドラマゆかりの人物がアニメーションで登場し自己紹介をするコーナーや、また観光情報やお土産品販売コーナーもあります。新たな「花燃ゆ」の感動が伝わってきます。
■ 基本情報
- ・名称:文と萩物語 花燃ゆ大河ドラマ館
- ・住所:山口県萩市江向602
- ・アクセス:萩循環まぁーるバス東回り・西回り「萩・明倫センター(大河ドラマ館前)」より徒歩すぐ
- ・営業時間:9:00~17:00(最終入場16:30)
- ・定休日:無休
- ・電話番号: 0838-25-3139 萩市大河ドラマ推進室(萩市観光課内)
- ・料金:大人500円、小・中生200円
- ・参考サイトURL:http://hagishi.com/search/detail.php?d=100096
文が美和子(美和)として人生を歩み始めた場所
13.萩城跡指月公園 ・天守閣跡
http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/gyosei/kanko/photo/G_hagi/sizukikouen.html
楫取 美和子(かとり みわこ)は、現在放送中の大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公です。天保14年(1843年)から 1921年(大正10年)の間、すなわち幕末から大正時代にかけて、波乱万丈の人生を送っています。幕末の思想家(教育者)であった吉田松陰の妹でもあります。天保14年(1843年)、杉百合之助(常道)の四女として誕生、文と名付けられました。これは叔父であり松下村塾の創立者である玉木文之進から「文」の1字をとって与えられた名です。兄である松陰からの影響もあり、長州や日本の国の行く末に強い関心と文ならではの行動(生き方)を貫きます。
松陰門下の久坂玄瑞に嫁ぎましたが、禁門の変で久坂が自害し、未亡人となります。文は名を「美和」と改めて、萩城の「奥」勤めが始まります。奥勤めの場所は現萩城跡の指月公園内であったようです。毛利定広の長男興丸の守役を勤めていました。
明治維新後、1876年(明治9年)より楫取素彦(小田村伊之助)は群馬県令となりますが、その妻であり文の実姉・寿(ひさ)は中風症に罹っていました。そのため、文がしばしば楫取家に出入りして素彦の身辺の世話や寿の看病、家政全般を取り仕切っていたと言われています。
1881年(明治14年)に、次姉の寿が胸膜炎を併発し死去すると、1883年(明治16年)には、素彦と再婚しています。これは素彦の身辺と2人の孫の行く末を案じた母である瀧(たき)の強い勧めがあったと伝えられています。 晩年は山口県防府町で過ごし、1921年(大正10年)に79歳で天寿を全うしています。
萩城跡指月公園、天守閣跡は、城跡の構造をよく残していることが特徴でしょう。園内には天守閣跡、花江茶亭、梨羽家茶室、旧福原家書院、万歳橋、東園などの旧跡があります。また、春には県の天然記念物に指定されているミドリヨシノを始め、600本余りのソメイヨシノが咲き誇ります
■ 基本情報
- ・名称:萩城跡指月公園 ・天守閣跡
- ・住所:山口県萩市堀内 (萩城内)
- ・アクセス:萩循環まぁーるバス(西回りコース)「萩城跡・指月公園入口 萩夏みかん工房前」バス停より徒歩5分
- ・営業時間:【4~10月】8:00~18:30 【11~2月】8:30~16:30 【3月】8:30~18:00
- ・定休日:無休
- ・電話番号:0838-25-1826
- ・料金:大人210円、小・中学生100円 (萩城跡指月公園の入園料金)
- ・参考サイトURL:http://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100050
14.高杉晋作誕生地
http://bakutora.japanserve.com/spt-hagi-5-takasugi-ph1.html
高杉晋作は、天保10年(1839)に萩藩大組士、禄高200石 高杉小忠太の長男として生まれました。藩校明倫館に通う一方で松下村塾にも通っていました。入塾後は頭角を表し、久坂玄瑞と並んで「松門の双璧」と称されました。文久2年(1862)、外国に支配される上海を視察しています。その視察によって危機感を抱き、翌文久3年(1863)に身分を問わない我が国初の軍事組織「奇兵隊」を結成しています。
幕府軍との戦いでは、勝利へと導きましたが、胸の病が悪化します。下関の東行庵に隠居していましたが、慶応3年(1867) 結核のため、27歳と8ヶ月という若さでこの世を去っています。
その高杉晋作の誕生地。現在は、南側半分が公開されています。産湯に使ったと伝えられる井戸や自作の句碑などがあります。
■ 基本情報
- ・名称:高杉晋作誕生地
- ・住所:萩市南古萩町23
- ・アクセス:萩循環まぁーるバス(西回りコース)「萩博物館前」バス停より徒歩7分
- ・営業時間:9:00~17:00
- ・定休日:不定休(要連絡)
- ・電話番号:0838-22-3078
- ・料金:大人100円/中高生50円
- ・参考サイトURL:http://hagishi.com/search/detail.php?d=100001
15.晋作広場 ・高杉晋作立志像
http://bakutora.japanserve.com/spt-hagi-5-takasugi-ph1.html
高杉晋作誕生地の近くにある「晋作広場」に、平成22年10月に建立されたのが高杉晋作立志像です。銅像は、晋作が20歳頃の時をイメージしてあります。明倫館や松下村塾に通っていたの若々しく凛々しい顔が印象的です。両刀を差した羽織、袴の立ち姿です。銅像の高さは1.8mで、台座を含めて3m。晋作誕生地と萩城の方角を向いて建てられています。また広場には晋作が好きだった梅の木や夏みかんの木も植樹されています。
16.伊藤博文旧宅
http://blogs.yahoo.co.jp/hatahata8/40898278.html
伊藤博文旧宅は、もともと萩藩の中間伊藤直右衛門の居宅でしたが、安政元年(1854)に博文14歳のとき、父である林十蔵が直右衛門の養子となり、一家をあげて伊藤家に入家することになります。旧宅は木造萱葺き平屋建て、29坪の小さなものでした。居宅各室の大きさは6畳1室、5畳半1室、4畳半1室、3畳3室、2畳1室の7室に玄関土間で、風呂場と便所が屋外にある典型的な下級武士の住宅となっています。明治元年(1868)に、博文が28歳で新政府に出仕するまでの14年間ここが生活の本拠となったそうです。
伊藤博文は、高杉晋作や山県有朋などと行動を共にし、明治維新の原動力となりました。一説によると伊藤博文たちが、処刑後の松陰の遺体を埋葬し、遺髪を萩に届けたとも言われています。真偽は分かりません。伊藤博文の旧宅も別邸も、吉田松陰の松下村塾から徒歩数分のところにあります。
■ 基本情報
- ・名称:伊藤博文旧宅
- ・住所:山口県萩市椿東1515
- ・アクセス:萩循環まぁーるバス(東回りコース)「松陰誕生地前」バス停より徒歩5分
- ・営業時間:外観のみ自由に見学可能
- ・電話番号:0838-25-3139 (萩市観光課)
- ・料金:無料
- ・参考サイトURL:http://hagishi.com/search/detail.php?d=100012
17.伊藤博文別邸
http://fumiyatag.exblog.jp/tags/EX-ZR100/5/?srl=15967626&dte=2012-08-14+19%3A46%…
伊藤博文旧宅の隣に別邸があります。明治40年に、伊藤博文が東京府下荏原郡大井村、現在の東京都品川区に建てた広大な別邸の一部を移築したものです。明治時代の宮大工伊藤万作の手によって建設され、大広間の鏡天井や離れ座敷の節天井など非常に意匠に優れていたものでした。その往時の面影をよく残す一部の玄関、大広間、離れを解体した後、萩へ移築しています。江戸時代に下級武士となる中間の子どもであった博文が、明治時代には、初代の総理大臣となります。博文自身の立身出世物語を、隣り合う旧宅と別邸が伝えているかのように建っています。
■ 基本情報
- ・名称:伊藤博文別邸
- ・住所:山口県萩市椿東1511-1
- ・アクセス:萩循環まぁーるバス(東回りコース)「松陰誕生地前」バス停より徒歩5分
- ・営業時間:9:00~17:00
- ・定休日:無休
- ・電話番号:0838-25-3139 (萩市観光課)
- ・料金:100円(小学生未満は無料)
- ・参考サイトURL:http://hagishi.com/search/detail.php?d=100013
18.円政寺
http://yamaguchin.blogspot.jp/2015/05/enseiji.html
円政寺は、明治維新の原動力となった高杉晋作や伊藤博文が勉学に励んだ寺として知られています。寺には、幼い晋作が肝だめしをしたという「天狗の面」や、遊んだ木馬(神馬)が残っています。また、境内には十二支の彫刻が施された珍しい形式の金毘羅社や、県下最大の石灯篭もあります。江戸時代には 法光院(ほうこういん)といって、藩主毛利家の祈願寺であったようです。円政寺という寺は、江戸時代には寺町にありましたが、明治時代に入って、円政寺と法光院が合併して 円政寺の名前を現在の寺に付けたと言われています。
■ 基本情報
- ・名称:円政寺
- ・住所:萩市南古萩町6
- ・アクセス:萩循環まぁーるバス(西回りコース)「萩美術館浦上記念館・萩城城下町入口」バス停より徒歩約5分
- ・営業時間:8:00~17:00
- ・定休日:無休
- ・電話番号:0838-22-3031
- ・料金:大人200円/ 中学生150円/小学生50円
- ・参考サイトURL:http://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100068
19.木戸孝允旧宅
http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/gyosei/kanko/photo/G_hagi/kidotakayosikyutaku.ht…
木戸孝允は、「維新の三傑」と言われています。別名は桂小五郎です。こちらの生家では、生まれてから江戸に出るまでの約20年間を過ごしています。木造瓦葺の2階建ての家で、中に入ると、誕生の間や幼少時代の手習いの書を表装した掛け軸、写真などが展示されています。木戸孝允は、天保4年(1833)、萩藩医・和田昌景の長男として生まれています。後に藩士の桂家の養子となります。桂小五郎の名はこれに由来するものです。藩校明倫館に通い吉田松陰の兵学門下となりますが、松下村塾の塾生ではありません。
文久2年(1862)には、藩の要職に就き京へと出て国事に奔走したようです。慶応元(1865)年、藩命によって姓を「木戸」と改めています。翌年、坂本竜馬が間に入り薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通らと「薩長同盟」が成立します。
維新後は、五箇条の御誓文の起草や版籍奉還、廃藩置県などの推進に功績を残しています。明治10(1877)年、西南の役の途中で病死しています。享年45歳。
■ 基本情報
- ・名称:木戸孝允旧宅
- ・住所:山口県萩市呉服町2-37
- ・アクセス:萩循環まぁーるバス(西回りコース)「萩美術館浦上記念館・萩城城下町入口」バス停より徒歩約4分
- ・営業時間:9:00~17:00
- ・定休日:無休
- ・電話番号:0838-25-3139 (萩市観光課)
- ・料金:100円(小学生未満は無料)
- ・参考サイトURL:http://hagishi.com/search/detail.php?d=100002
ここで萩の歴史・文化や幕末維新の事が解る!
20.萩博物館
平成27年(2015)1月から、萩を舞台としたNHK大河ドラマ「花燃ゆ」が放映されています。この機を捉え萩博物館では、「兄松陰と妹文」をテーマとする特設展示室を期間限定で開設されています。吉田松陰や杉文(のちの楫取美和子)が書いた手紙など、杉家から寄贈された貴重な実物資料が展示されています。
杉家の家族愛を感じ取ることができます。松陰と文の兄妹は、萩城下の東郊松本村に、杉百合之助と滝夫妻の子として生まれました。松陰は、幼くして萩藩の兵学師範吉田大助の跡を継ぐことになります。しかし、大助が亡くなったため杉家に引き取られます。
父や叔父玉木文之進は、松陰を一人前に育てるため厳格に指導していきます。杉家は母である滝を中心とする温かく、明るい家庭であったようです。その影響を受けて育まれた兄妹の情愛は、大変厚いものであったことが展示資料から読み取ることができます。
たとえば、松陰が書いた手紙を読むと、13歳も年下の文の成長ぶりをいつも気にかけていたことがわかります。そして文もまた、若くして死別した兄松陰に対し深い追慕の情を抱き続けていたことが、彼女の書き残した直筆の書から伝わってきます。
幕末から明治にかけての激動の時代、萩に実在した松陰・文の兄妹を軸に、杉家で培われた強い家族の絆を感じ取るにはおすすめのスポットです。萩観光を計画されたら、是非訪ねてみて下さい。
■ 基本情報
- ・名称:萩博物館
- ・住所:山口県萩市大字堀内355番地
- ・アクセス:萩バスセンターより「まぁーるバス」西回り10分、萩博物館前下車すぐ
- ・営業時間:9時~17時 (ただし入館は16時30分まで)
- ・定休日:なし(年1日臨時休館日あり)
- ・電話番号:0838-25-6447
- ・料金:大人/510(410)円 高校・大学生/310(240)円 小・中学生/100(80)円
- 団体割引:20名以上20%引 障がい者割引:20%引( )内は割引料金
- ・公式サイトURL:https://www.city.hagi.lg.jp/hagihaku/
21.萩史料館
萩史料館には、藩政時代の歴史文化資料を展示してあります。萩城跡の駐車場の横に位置し、館内には藩政時代から明治時代にかけての文化遺産がたくさん並んでいます。萩城下町絵図や藩主、維新の志士達の写真や遺墨、書簡や絵画、武具など貴重なものが数多く展示されていて、幕末維新の事がよく分かります。
日本最古のオルゴール「紙腔琴」や、ポルトガルから伝来した、香水を作るための蒸留装置の蘭引なども展示されています。
■ 基本情報
- ・名称:萩史料館
- ・住所:山口県萩市堀内83-33
- ・アクセス:萩循環まぁーるバス(西回りコース)萩城跡・指月公園入口 萩夏みかん工房前」バス停より徒歩3分
- ・営業時間:【3月~11月】9:00~17:00、【12月~2月】9:00~16:30
- ・定休日:火曜日(祝祭日の場合は翌日)
- ・電話番号:0838-25-2132
- ・料金:大人 500円、大・高生 300円、小・中学生200円
- ・参考サイトURL:http://www.hagishi.com/search/detail.php?d=100062
文をイメージして現代風にアレンジしたグルメ
22.ふみ御膳とふみ弁当
http://burarihagi.sblo.jp/article/135292032.html
ふみ御膳とふみ弁当。平成27年大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公、吉田松陰の妹であり杉家の四女である文(ふみ)をイメージして現代風にアレンジしたものが、今人気の萩のプレミアムグルメです。このふみ御膳とふみ弁当には次のような条件があります。ふみ御膳の条件は、先ず、萩焼や萩ガラスなど萩の器を使用し、9マスの萩桐箱の器で提供すること。そして、萩産の魚介類の中から女性イメージのある魚介類を6マス以上使用すること。次に、地域の料理人が郷土料理の手法などを研究し提供すること。 最後に、おもてなしの心を尽くすこととなっています。
ふみ弁当の条件は、6マスに区切られた器で提供すること。そして、萩産の魚介類の中から女性イメージのある魚介類を4マス以上使用すること。次は、地域の料理人が郷土料理の手法などを研究し提供すること。 そして最後は、おもてなしの心を尽くすこと。
旬の魚を使用するため、パンフレットなどに紹介される写真と実物と異なる場合もあるようですが、萩観光や史跡めぐりにはおすすめのグルメです。
■ 基本情報
- ・名称:ふみ御膳とふみ弁当
- ・提供店紹介URL:http://www.hagi-gyosyokuoukoku.com/topics/1434606414998.html
素材提供:トリップアドバイザー