武将のお墓は「その人が生きた証」。お墓参りをすると見知っているエピソードがより身近に感じられ、生き様も分かったような気持ちになります。実際にお骨があろうとなかろうと、思い偲ぶ気持ちがあれば満足できる・・そんな戦国武将たちのお墓を集めました。

天正18年(1590)10万石で大多喜に入城した本多忠勝が菩提所として建立したお寺です。
遺言によって初めて城主となった大多喜に分骨され、この地に眠っています。
忠勝(中央)・次男忠朝(左)・忠勝夫人(右) 法号「長誉良信西岸寺」

天正18年(1590) 館林城主になった榊原康政が再建、諸堂を建立し菩提寺としたお寺です。
天正18年(1590)家康の関東に移封とともに上野館林10万石に入封した康政は
慶長11年(1606)館林で死去。享年59才。訃報を聞いた本多忠勝は館林に駆けつけ、
亡骸を抱いて号泣したと言われています。榊原康政のお墓は高さ5m46㎝の宝筐印塔。
法号「養林院殿前大守職上誉見向大禅定門」。康政の長男、三男のお墓も並んでいます。

明応6年(1497年)謙信の祖父長尾能景が父・重景の菩提を弔うために建立した長尾氏菩提寺。
景勝の移封により遺骸は米沢の上杉家廟所に移されますが、春日山城の搦手門を移築したと
伝えられる惣門や謙信直筆の「春日山」「第一義」の大額が見られる宝物館とともに、
今でも訪れる人が後を絶ちません。法号「不識院殿真光謙信 法印大阿闍梨」

永正15年(1518) 浅井亮政の小谷築城に伴い菩提寺となり、医王寺の名で小谷城下にあった寺。
徳勝寺と改められ、内藤、井伊と領主が変わる度に移転し現在の場所に落ち着きました。
浅井長政が自刀した9月1日には浅井の子孫や檀家の方が集まって法要が行われます。

天正12年(1584)奈良の円証寺に葬られた後に改葬し、この地に埋葬されました。

豊臣家滅亡後、墓地の荒廃により位牌を託されていた春岳院の僧が建立した五輪塔
兄の秀吉が大光院を建立しますが元和元年(1615)豊臣家は滅亡。秀長の位牌は東光寺(現・春岳院)に託されますが墓地が荒廃し、春岳院の僧・栄隆らによってこの地に五輪塔が建立されました。
法号「大光院殿前亜相春岳紹栄大居士」。市指定文化財。

天正15年(1587) 前田利家が兄利久を葬って以降、歴代藩主とその正室が葬られる墓所。
そして加賀前田家2代目利長の墓と並んでいます。利家の墓域は1辺19mの大規模なもの。
前田家墓所の面積も約8.6ヘクタールと広大で約80基の墓が建てられています。
1.良玄寺~本多忠勝墓所
天正18年(1590)10万石で大多喜に入城した本多忠勝が菩提所として建立したお寺です。
桑名から忠勝の遺言で分骨されたリアルお墓
忠勝は慶長15年(1610)10月18日 桑名でなくなりました。享年63才。遺言によって初めて城主となった大多喜に分骨され、この地に眠っています。
忠勝(中央)・次男忠朝(左)・忠勝夫人(右) 法号「長誉良信西岸寺」
基本情報
- ・名称:良玄寺
- ・住所:千葉県夷隅郡大多喜町新丁180
- ・アクセス:いすみ鉄道 大多喜駅下車、徒歩約12分
2.善導寺~榊原康政墓所
天正18年(1590) 館林城主になった榊原康政が再建、諸堂を建立し菩提寺としたお寺です。
火葬された遺骨が確認されたリアル墓所
慶長11年(1606)館林で死去。享年59才。訃報を聞いた本多忠勝は館林に駆けつけ、
亡骸を抱いて号泣したと言われています。榊原康政のお墓は高さ5m46㎝の宝筐印塔。
法号「養林院殿前大守職上誉見向大禅定門」。康政の長男、三男のお墓も並んでいます。
基本情報
- ・名称:善導寺
- ・住所:群馬県館林市楠町3692
- ・アクセス:東武鉄道伊勢崎線館林駅より徒歩約45分
- ・電話番号:0276-72-1259
3.林泉寺~上杉謙信墓所
明応6年(1497年)謙信の祖父長尾能景が父・重景の菩提を弔うために建立した長尾氏菩提寺。
謙信が7歳から14歳までの7年間を過ごしたお寺
生涯修禅に励んで軍神として生き、49歳で生涯を終えた謙信はこの地に葬られました。景勝の移封により遺骸は米沢の上杉家廟所に移されますが、春日山城の搦手門を移築したと
伝えられる惣門や謙信直筆の「春日山」「第一義」の大額が見られる宝物館とともに、
今でも訪れる人が後を絶ちません。法号「不識院殿真光謙信 法印大阿闍梨」
基本情報
- ・名称:春日山林泉寺
- ・住所:新潟県上越市中門前1丁目1−1
- ・アクセス:信越線春日山駅 徒歩20分
- ・営業時間:9時00分~17時00分
- ・電話番号:025-524-5846
- ・料金:大人500円、小中学生250円
- ・所要時間:1時間
- ・オススメの時期:晩秋
- ・公式サイトURL:http://www.valley.ne.jp/~rinsenji/index.html
4.徳勝寺~浅井三代墓所
永正15年(1518) 浅井亮政の小谷築城に伴い菩提寺となり、医王寺の名で小谷城下にあった寺。
浅井滅亡後20年近く経ってから、秀吉が長浜に移した浅井家の菩提寺
左から長政、祖父の亮政、右が父の久政。秀吉が長浜に移した際、浅井亮政の法号を取り、徳勝寺と改められ、内藤、井伊と領主が変わる度に移転し現在の場所に落ち着きました。
浅井長政が自刀した9月1日には浅井の子孫や檀家の方が集まって法要が行われます。
基本情報
- ・名称:徳勝寺
- ・住所:滋賀県長浜市平方町872
- ・アクセス:長浜駅 徒歩10分
- ・電話番号:0749-62-5774
- ・料金:本堂内拝観料200円 ※要事前予約
5.筒井順慶歴史公園~筒井順慶墓所
天正12年(1584)奈良の円証寺に葬られた後に改葬し、この地に埋葬されました。
国指定の重要文化財
順慶は天正12年、大和郡山城で亡くなりました。享年36歳。いったん円証寺に葬られた後、遺骸を掘り起こして盛大な葬儀を行い、長安寺の墓所に移されました。五輪塔覆堂の中には五輪塔が1基あり「順慶陽舜房法印三六歳、干時入滅天正十二年季甲申八月十一日」の銘が刻まれています。18歳で得度し僧形の武将だった順慶の家臣には島左近がいました。基本情報
- ・名称:筒井順慶歴史公園
- ・住所:奈良県大和郡山市長安寺町
- ・アクセス:近鉄橿原線 平端駅 徒歩5分
- ・営業時間:
- ・定休日:
- ・電話番号:0743-57-5333 筒井順慶顕彰会
- ・公式サイトURL:http://www.nantokanko.jp/mytown2011081.html
6.大納言塚~豊臣秀長墓所
豊臣家滅亡後、墓地の荒廃により位牌を託されていた春岳院の僧が建立した五輪塔
有能で諸大名からの信頼も厚かった秀吉の異父弟の五輪塔
天正13年(1585)豊臣秀長は大和郡山100万石の城主となりますが51歳で他界しました。兄の秀吉が大光院を建立しますが元和元年(1615)豊臣家は滅亡。秀長の位牌は東光寺(現・春岳院)に託されますが墓地が荒廃し、春岳院の僧・栄隆らによってこの地に五輪塔が建立されました。
法号「大光院殿前亜相春岳紹栄大居士」。市指定文化財。
基本情報
- ・名称:大納言塚
- ・住所:大和郡山市箕山町14
- ・アクセス:近鉄橿原線 郡山駅から 徒歩15分
- ・所要時間:10分
- ・公式サイトURL:http://bit.ly/1A0fWmT
7.野田山墓地~前田家墓所 前田利家
天正15年(1587) 前田利家が兄利久を葬って以降、歴代藩主とその正室が葬られる墓所。
歴代加賀藩主の墓が全て集まる100万石大名家の墓所
藩祖前田利家の墓は墓所の一番高いところに建てられていて、隣には正室おまつ、そして加賀前田家2代目利長の墓と並んでいます。利家の墓域は1辺19mの大規模なもの。
前田家墓所の面積も約8.6ヘクタールと広大で約80基の墓が建てられています。
基本情報
- ・名称:野田山墓地 加賀藩主前田家墓所
- ・住所:金沢市野田
- ・アクセス:JR北陸本線金沢駅から北陸鉄道バス「野田」下車、徒歩約25分
- ・所要時間:30分
- ・公式サイトURL:http://bit.ly/1sFjkRS