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推古天皇の勅命により聖徳太子が建立したと伝わる古刹で、創建時期は定かではないようですが奈良時代に創建されたのではないかと思われます。こちらは、『藤原種継暗殺事件』の首謀者嫌疑をかけられた早良親王が幽閉された場所でもあり、空海上人が一時住んでいたとも伝わっているのです!!1.「乙訓寺」とは?
2. どんな魅力が?
昭和9年の室戸台風により大きな被害を受けた乙訓寺に、長谷寺の海雲全教和上から牡丹が寄進された事からぼたん寺と呼ばれるようになりました。それまでは、寂しい佇まいの寺で人が訪れる事もなかったそうです。最澄が空海を訪ね、二人で密教について法論を交わしたという記録が残っているそうで、聖徳太子かた空海へと仏教の道が手渡された寺といっても過言ではありません。
3.見どころ・お勧めポイント
長岡京
乙訓には長岡京がありましたが、僅かな期間であり京都に遷都されました。桂川や宇治川などの大きな川が淀川となる合流点があった為に、日本中からの物資を荷揚げする港「山崎津」で船に積み替えて都の中に入るようにできたことが平城京から長岡京への遷都となったのです。船で効率よく物資を運ぶことができた事が長岡京を栄えさせましたが、京に遷都され長岡京は廃都となったのです。その後も、乙訓寺は大規模な伽藍に10を越す僧坊を室町時代まで擁していたそうです。
聖徳太子が建立した
牡丹で有名なので、本堂までゆっくりと拝観する人は少ないそうですが、法隆寺をご覧になった人は高句麗尺を探してみるのも楽しいです。
毘沙門天立像
「幽愁の毘沙門天」との異名で語り伝えられているそうで、従来に毘沙門天とは違い哀れみ深く憂いのある表情が特徴となっています。毘沙門堂の奥に接続する収蔵庫内に安置されているので、通常はみる事はできません。事前に予約すれば、拝観料100円で入ることができるんですよ!怒りではなく、民を導くかのようなその姿はまるで咲き誇る牡丹の如く、艶やかで優しいのです。
4.口コミ
長岡京市にある真言宗乙訓寺です。 桓武天皇の弟で早良親王が謀反の 疑いを受け幽閉されたお寺です。 早良親王は後に淡路に配流となり、非業の死を遂げました。祟りを恐れた桓武天皇は、平安京に都を遷し早良親王は崇道天皇と追号されました。 pic.twitter.com/yGO2MITEEF
— まっさん (@y381004) 2015, 8月 16
Peony at Otokunidera Temple in Kyoto In late April the peony flowers bloom vividly in the garden. 乙訓寺の牡丹 pic.twitter.com/uOHpDyj8a6
— 京子 (@kyoko075) 2015, 8月 4
京都府長岡京市の乙訓寺。本堂。真言宗豊山派。推古天皇の勅願により聖徳太子が建立したと伝える。宝形造本瓦葺の本堂には本尊の「合体大師像」を祀る。弘法大師と八幡神の合作という伝承がある。http://t.co/Byl4RcMp5Z pic.twitter.com/UeMiiZS6Ig
— y.tama (@tama311) 2015, 6月 25
5.詳細
■ 基本情報
- ・名称: 乙訓寺
- ・住所: 長岡京市今里3-14-7
- ・アクセス: 阪急バス「薬師堂」下車徒歩約5分
- ・営業時間: 8:00~17:00
- ・電話番号: 075-951-5759
- ・料金: 大人500円、中学生以下は無料
- ・所要時間: 30分
- ・オススメの時期: 4月~5月
- ・公式サイトURL:http://www.eonet.ne.jp/~otokunidera/
京都市内にはおおくの歴史ある寺院がありますが、長岡京市のもこのように重みの感じられる場所が残されているので、散策してみましょう。