日本に四川料理を広めた、中華の祖とも言える陳建民氏。回鍋肉にキャベツを入れたのも、汁なしでは無いラーメン風の坦々麺を作ったのも、エビチリソースの調味にトマトケチャップを使ったのも、建民が日本で始めたものだと言われている。
そして、彼がいなければ我々がこよなく愛する痺れるような麻婆豆腐が、日本でここまで受け入れられることはなかったかもしれない。
今回はその四川料理の魂を受け継いだ、以下の超豪華な「陳ファミリー」の料理を一挙にご紹介!
①建民氏の息子 『四川飯店』オーナーシェフ・陳建一氏
②健一氏の一番弟子 『スーツァンレストラン陳』総料理長・菰田欣也氏
③建民氏の孫 『赤坂四川飯店』の料理人・陳建太郎氏
④建民氏の弟子 『龍の子』のオーナーシェフ・安川哲二氏
⑤安川哲二氏の弟子 『蜀彩』の料理人・村岡拓哉氏 見よ、これが四川料理の神髄だ!
建民氏の息子 『四川飯店』オーナーシェフ・陳建一氏
四川料理一筋で働き、厨房の指揮をとる父・建民氏の背中に憧れ、その道を継ぐことに迷いはなかったという。建民氏は「跡を継げ」とは一切言わなかったが、大学卒業後すぐ『四川飯店』への入社を決めたという。
そんな陳健一氏が作り出した渾身の一皿はやはり「陳麻婆豆腐」。「麻婆豆腐」は『四川飯店』の礎と言うべきひと品だ。
陳麻婆豆腐
昭和30年代の日本で入手しやすい食材を使った故・建民氏版麻婆豆腐はしっかりと家庭に根を下ろした。
その礎の上に"陳麻婆豆腐"で麻辣の両味をはっきりと示した建一氏版。ご飯にかけてかき込む至福を味わうべし。
調理師学校の特別授業で建一氏にひと目惚れし入店を決めた菰田氏は、「料理の鉄人」アシスタントから、やがて『陳建一麻婆豆腐店』の開業を任され、『スーツァン』総料理長就任と、常に『四川飯店』グループの最前線で働き、腕を磨いてきた。
菰田氏の元には、建一氏の息子である建太郎氏も託されている。 「ここで逃げるな」「いや辞めたい」。
そんな押し問答も、息子を預けた建一氏はただただ見守るのみ。「見て、食べて、感じなさい」とは建民氏の弁。父である建民氏の言葉を息子へと手向けるのみ。
伊勢えびのチリソース~フランス産エシレバター包み~
『スーツァンレストラン陳』開業しばらくは、五里霧中の状態だったという菰田氏にとっての、エポックメイキングなスペシャリテがこちら。
伊勢えびの団子を割るとじわり、エシレバターが溶け出す会心作は、今や定番。陳建民氏が生んだ、えびのチリソースの進化形と言える。
日本の四川料理の祖・陳建民氏を父に持つ建一氏の元に、その息子の建太郎氏が料理人修業へと入ったのは大学卒業後の2002年。
「何でわざわざ茨の道を」ともうひとりの師匠・菰田氏は語るが、その道に入った時に、健太郎氏当人は「これしかない」と背水の陣だったという。
すぐに『スーツァン』に預けられるも開業2年目の勢いと繁忙に音を上げる。「クレイジーだよ! あんなに働くなんて」と建太郎氏。
フカヒレの姿煮~上海蟹卵ソース~
「変わりたい、逃げたい、やらねばならぬ」の堂々巡りを断ち切るための四川留学を経て、大きく飛躍した建太郎氏が産み出した渾身のひと品はフカヒレの姿煮。
「いやぁ、美味しそうだ!」と相好を崩す建一氏の顔は、師匠であり父の顔だった。
陳建民氏のお弟子さん、安川哲二さんがオーナーシェフを務めるお店が『龍の子』。美味しいレストランを探すのに一苦労する原宿のどまんなかに位置する、大人の隠れ家的な名店だ。
安川氏が『四川飯店』の陳建民氏の元で研鑽を重ね、竹下通りと明治通りの交わる地の地下にこの店を開いたのが1977年。以来、本格四川料理の味が味わえると愛され続けている。
坦々麺(正宗四川辣味そば)
こちらの坦々麺の正式名称は「正宗四川辣味そば」。師である陳建民氏の教えを受け継いだ、特製の坦々麺とのこと。白胡麻の風味豊かでまろやかな濃厚スープに細麺が絡み合い、上にのっている青菜、挽肉、細かく刻まれたザーサイもいいアクセントとなり、クセになってしまう味わいだ。
卓上の酢を加えて自分好みにアレンジする向きもいるが、オススメはラー油ではなく山椒油。唐辛子ではなく山椒でとった緑色の隠し味を追加すれば、さらなる痺れを味わうことができる。
「味は一代。『四川飯店』の土台は守らねばならぬけれど、その先にあるのは料理人自身だよ」とは建民氏の言葉。弟子も、そのことは先刻承知。師匠の懐は果てしなく深く、道は続く。
四川料理の祖・陳建民のお弟子さん、安川哲二氏が開いた『龍の子』で腕を磨いたのが、四川料理好きに話題の店『蜀彩』の村岡拓哉氏。
料理人としてのスタートは決して早かったとは言えないが、その“種”が心のなかに芽生えたのは、わりに早期であった。子供の頃、親に連れられて行った四川料理店で、はじめて雲白肉に出合ったときの感動を今でも忘れることはないという。
「昔からおつかいで買いものに行くことが多かったから、どんな食材を使っているかというのがなんとなくわかったんです。どこでも手に入るような普通の豚肉を、こんな美味しい料理にできるのかと。子供心にすごく感激したのを覚えています」
遅咲きを承知で25歳からのスタートを決意できたのは、やはり一生をかける覚悟あってのことだ。30を目前にして原宿『龍の子』に入店、その後、本場の空気を肌で感じるために四川省へと渡った。
やがて独立し、世田谷区・経堂に自身の店『蜀彩』を構えたのは2011年10月のこと。胸のなかで大切に育ててきた“種”がこうして花開き、四川料理好きには要注目の人気店となっている。
村岡氏の原動力は、単なる“刺激”ではなく、四川料理に対する愛情と敬意。料理はときとして、作り手以上に雄弁だ。
こちらがその自慢の逸品、成都式汁無し坦々麺。今では誰もが愛するこの料理、やはり本物の味わいは格別である。
本場四川に伝わる味を村岡氏が独自にアレンジしたその坦々麺は、圧倒的に奥の深い味わいで、いくらでも後を引く旨さである。
いかがだったであろうか。実はかなりの短期間でこれだけ日本の食文化に根をはることに成功した「四川料理」は、陳ファミリーの偉大な功績無くしては語れないものだ。本物の味わいを楽しみたいなら、是非今日紹介した店舗に足を運んでみて欲しい。
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そして、彼がいなければ我々がこよなく愛する痺れるような麻婆豆腐が、日本でここまで受け入れられることはなかったかもしれない。
今回はその四川料理の魂を受け継いだ、以下の超豪華な「陳ファミリー」の料理を一挙にご紹介!
①建民氏の息子 『四川飯店』オーナーシェフ・陳建一氏
②健一氏の一番弟子 『スーツァンレストラン陳』総料理長・菰田欣也氏
③建民氏の孫 『赤坂四川飯店』の料理人・陳建太郎氏
④建民氏の弟子 『龍の子』のオーナーシェフ・安川哲二氏
⑤安川哲二氏の弟子 『蜀彩』の料理人・村岡拓哉氏 見よ、これが四川料理の神髄だ!
父への憧憬があらわれた逸品『赤坂四川飯店』”陳麻婆豆腐”
四川料理一筋で働き、厨房の指揮をとる父・建民氏の背中に憧れ、その道を継ぐことに迷いはなかったという。建民氏は「跡を継げ」とは一切言わなかったが、大学卒業後すぐ『四川飯店』への入社を決めたという。
そんな陳健一氏が作り出した渾身の一皿はやはり「陳麻婆豆腐」。「麻婆豆腐」は『四川飯店』の礎と言うべきひと品だ。
陳麻婆豆腐
昭和30年代の日本で入手しやすい食材を使った故・建民氏版麻婆豆腐はしっかりと家庭に根を下ろした。
その礎の上に"陳麻婆豆腐"で麻辣の両味をはっきりと示した建一氏版。ご飯にかけてかき込む至福を味わうべし。
陳健一氏の愛弟子が手掛ける『スーツァンレストラン陳』”伊勢えびのチリソース~フランス産エシレバター包み~”
健一氏の一番弟子 『スーツァンレストラン陳』総料理長・菰田欣也氏調理師学校の特別授業で建一氏にひと目惚れし入店を決めた菰田氏は、「料理の鉄人」アシスタントから、やがて『陳建一麻婆豆腐店』の開業を任され、『スーツァン』総料理長就任と、常に『四川飯店』グループの最前線で働き、腕を磨いてきた。
菰田氏の元には、建一氏の息子である建太郎氏も託されている。 「ここで逃げるな」「いや辞めたい」。
そんな押し問答も、息子を預けた建一氏はただただ見守るのみ。「見て、食べて、感じなさい」とは建民氏の弁。父である建民氏の言葉を息子へと手向けるのみ。
伊勢えびのチリソース~フランス産エシレバター包み~
『スーツァンレストラン陳』開業しばらくは、五里霧中の状態だったという菰田氏にとっての、エポックメイキングなスペシャリテがこちら。
伊勢えびの団子を割るとじわり、エシレバターが溶け出す会心作は、今や定番。陳建民氏が生んだ、えびのチリソースの進化形と言える。
孫・健太郎氏が挑む『赤坂四川飯店』 “フカヒレの姿煮~上海蟹卵ソース~”
建民氏の孫 『赤坂四川飯店』の料理人・陳建太郎氏日本の四川料理の祖・陳建民氏を父に持つ建一氏の元に、その息子の建太郎氏が料理人修業へと入ったのは大学卒業後の2002年。
「何でわざわざ茨の道を」ともうひとりの師匠・菰田氏は語るが、その道に入った時に、健太郎氏当人は「これしかない」と背水の陣だったという。
すぐに『スーツァン』に預けられるも開業2年目の勢いと繁忙に音を上げる。「クレイジーだよ! あんなに働くなんて」と建太郎氏。
フカヒレの姿煮~上海蟹卵ソース~
「変わりたい、逃げたい、やらねばならぬ」の堂々巡りを断ち切るための四川留学を経て、大きく飛躍した建太郎氏が産み出した渾身のひと品はフカヒレの姿煮。
「いやぁ、美味しそうだ!」と相好を崩す建一氏の顔は、師匠であり父の顔だった。
名門の味を受け継ぐ原宿の老舗四川『龍の子』”坦々麺”
建民氏の弟子 『龍の子』のオーナーシェフ・安川哲二氏陳建民氏のお弟子さん、安川哲二さんがオーナーシェフを務めるお店が『龍の子』。美味しいレストランを探すのに一苦労する原宿のどまんなかに位置する、大人の隠れ家的な名店だ。
安川氏が『四川飯店』の陳建民氏の元で研鑽を重ね、竹下通りと明治通りの交わる地の地下にこの店を開いたのが1977年。以来、本格四川料理の味が味わえると愛され続けている。
坦々麺(正宗四川辣味そば)
こちらの坦々麺の正式名称は「正宗四川辣味そば」。師である陳建民氏の教えを受け継いだ、特製の坦々麺とのこと。白胡麻の風味豊かでまろやかな濃厚スープに細麺が絡み合い、上にのっている青菜、挽肉、細かく刻まれたザーサイもいいアクセントとなり、クセになってしまう味わいだ。
卓上の酢を加えて自分好みにアレンジする向きもいるが、オススメはラー油ではなく山椒油。唐辛子ではなく山椒でとった緑色の隠し味を追加すれば、さらなる痺れを味わうことができる。
「味は一代。『四川飯店』の土台は守らねばならぬけれど、その先にあるのは料理人自身だよ」とは建民氏の言葉。弟子も、そのことは先刻承知。師匠の懐は果てしなく深く、道は続く。
単なる刺激ではない、四川料理に対する愛情と敬意『蜀彩』 ”成都式汁無し坦々麺”
安川哲二氏の弟子 『蜀彩』の料理人・村岡拓哉氏四川料理の祖・陳建民のお弟子さん、安川哲二氏が開いた『龍の子』で腕を磨いたのが、四川料理好きに話題の店『蜀彩』の村岡拓哉氏。
料理人としてのスタートは決して早かったとは言えないが、その“種”が心のなかに芽生えたのは、わりに早期であった。子供の頃、親に連れられて行った四川料理店で、はじめて雲白肉に出合ったときの感動を今でも忘れることはないという。
「昔からおつかいで買いものに行くことが多かったから、どんな食材を使っているかというのがなんとなくわかったんです。どこでも手に入るような普通の豚肉を、こんな美味しい料理にできるのかと。子供心にすごく感激したのを覚えています」
遅咲きを承知で25歳からのスタートを決意できたのは、やはり一生をかける覚悟あってのことだ。30を目前にして原宿『龍の子』に入店、その後、本場の空気を肌で感じるために四川省へと渡った。
やがて独立し、世田谷区・経堂に自身の店『蜀彩』を構えたのは2011年10月のこと。胸のなかで大切に育ててきた“種”がこうして花開き、四川料理好きには要注目の人気店となっている。
村岡氏の原動力は、単なる“刺激”ではなく、四川料理に対する愛情と敬意。料理はときとして、作り手以上に雄弁だ。
こちらがその自慢の逸品、成都式汁無し坦々麺。今では誰もが愛するこの料理、やはり本物の味わいは格別である。
本場四川に伝わる味を村岡氏が独自にアレンジしたその坦々麺は、圧倒的に奥の深い味わいで、いくらでも後を引く旨さである。
いかがだったであろうか。実はかなりの短期間でこれだけ日本の食文化に根をはることに成功した「四川料理」は、陳ファミリーの偉大な功績無くしては語れないものだ。本物の味わいを楽しみたいなら、是非今日紹介した店舗に足を運んでみて欲しい。
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