京都の木津川、国道24号線に「泉大橋」という橋があります。実はこの橋、かつて奈良時代に行基が橋を架けたのだそうです。その後、平安時代に橋は洪水で流されたままになっていましたが、鎌倉時代に遺された橋柱を使って、文殊菩薩を彫り、それを安置する形で開かれたのが大智寺の前身であるといわれています。そんな歴史のある「大智寺」を紹介します。
奈良時代に行基が架けた橋が流され、残っていた橋柱に文殊菩薩像を刻んだ西大寺慈真和尚を開基として、鎌倉時代に「橋柱寺」と称する寺院が建立しました。その後、寛文9年(1669)本寂和尚によって再興し、このときに寺名を橋柱山大智寺と改めました。本尊の文殊菩薩坐像と十一面観音立像は重要文化財とされています。
静かな境内に三重塔があり、梵字の阿字をかたどった池を中心にして、東に薬師仏、西に阿弥陀仏を配した庭園は極楽世界をこの世に表わしたもので、本堂は横に長く九体の阿弥陀如来を安置し国宝とされています。平安時代に京都にこの「九体阿弥陀堂」が三十数棟建立されましたが、すべて失われ、当時のまま現存するのはここ浄瑠璃寺だけです。静寂の浄土世界に入ったような清らかな気持ちになります。
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大智寺とは?
大智寺の魅力
本尊の文殊菩薩は重要文化財、本堂・庫裏・鐘楼堂・山門・附石造十三重塔は京都府登録有形文化財、十一面観音は重要文化財に指定されています。建築は京の宮大工による質の高いもので、これだけの伽藍は当時の建造物としては珍しいと言われています。敷地内の、見事な桜の古木も当時の歴史を偲ばせます。山背古道沿いなので、ウォーキングコースとしても楽しめそうです。見どころ
史跡 恭仁宮跡(くにのみやあと)
山城国分寺跡ともいわれます。今からおよそ1300年前、現在の木津川市加茂町に 「恭仁宮」が造られ、わが国の首都となりました。わずか5年ほどの短い期間で、幻の都と言えます。数々の遺構から、かつて歴史の中心舞台であったことがしのばれます。国の史跡に指定され、現在は、大極殿(金堂)礎石と七重塔礎石が残っています。恭仁宮跡周辺では晩夏から秋にかけて、蕎麦の花、彼岸花、コスモスが見頃となります浄瑠璃寺(じょうるりじ)
海住山寺(かいじゅうせんじ)
国宝の五重塔で知られているお寺です。創建は天平7年(735年)聖武天皇が大仏造立平安祈願の為、良弁僧正に命じて建立させ十一面観音菩薩を安置したのが始まりと言われます。かつて恭仁京があった瓶原を見下ろす三上山の中腹に位置します。 本尊として十一面観音が安置されています。■ 基本情報
- ・名称:大智寺(だいちじ)
- ・住所:木津川市木津町木津雲村42-1
- ・アクセス:JR「木津駅」から徒歩約10分
- ・営業時間:9時~17時(要予約)
- ・電話番号:0774-72-2500
- ・料金:拝観料300円 ※拝観希望の方は予約が必要です。
- ・公式サイトURL:http://0774.or.jp/temple/daichiji.html
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