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この田辺城の主であった細川幽斎(藤孝)は、文武両道に優れた才能豊かな人物で、この田辺城で関ヶ原の戦いの前哨戦とも言える籠城戦を戦い、多くの兵を田辺城に引きつけ続けた為関ヶ原は勝てたという人もいる程の奮戦を見せました。1.田辺城資料館とは?
資料館では細川幽斎の像を見ることが出来、田辺城の歴史がパネルなどで紹介されています。
2.田辺城資料館の魅力
田辺城の歴史の中で最も有名な話として、慶長5年、1600年に関ヶ原の戦いの直前に西軍の大軍1万5千人に取り囲まれての籠城戦となってしまい、それを52日も粘って、しかも朝廷直々の講和によって終結したという逸話があります。細川幽斎は歌道、剣術、茶道、馬に弓、お茶に料理と、なんでも全て一流となったという人物で、籠城戦でも敵が圧倒的戦力差で攻めきれなかったのは彼の才能を惜しんだ為とも言われています。
そんな歴史の舞台を実際に目で見る事が出来るのは面白いのではないでしょうか。
3.見どころ・お勧めポイント
本丸石垣
本来の本丸の石垣がそのまま残っています。他に二の丸の石垣が残っているのですが、堀の埋め立てと共に石垣自体もかなり埋まってしまっている為、往時の面影を残しているのはこの本丸石垣だけと考えられます。細川幽斎が建てた城、そして活躍した城に思いを馳せる時に、この本丸の石垣を眺めるのが一番でしょう。現在は舞鶴公園の駐車場の所にあります。
舞鶴公園
100本の桜が咲き、美しい日本庭園もある、のびのびとした憩いの場所となっています。かつてこの場所で500名対15000名の籠城戦が52日も繰り広げられたとは考えられないでしょう。
ところどころに残る石垣が長い年月の果てに昔を留めるのみです。
うのもり神社
元々は細川幽斎がお城を建てる前にあった円満寺村という村の氏神様でした。しかし、田辺城の建設と共に城内に取り込まれて、城の守り神とされていたとの事です。祭の日には城内を開放してお参りをさせていたようです。
現在は小さな神社として残っていますが、この神社の砂にはマムシ除けの効能があるとされているそうです。
この神社の中にも田辺城の石垣の一部が残されています。
4.口コミ
舞鶴公園!と田辺城資料館!昔ここにお城があって細川藤孝が石田三成に攻められて籠城したらしいっ。藤孝さんは忠興パパ。大変な息子をお持ちになって…。 pic.twitter.com/BvjOIY8mf2
— あお (@todoyusuke) 2015, 1月 31
息子さんは細川ガラシャさんの旦那さんですね。5.「田辺城資料館」についての詳細 ・基本情報
■ 基本情報
- ・名称: 田辺城資料館
- ・住所: 〒624-0853 京都府舞鶴市字南田辺15-22
- ・アクセス:西舞鶴駅から徒歩で7分
- ・営業時間: 9時から17時
- ・定休日: 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌々日)、祝日の翌日、12/29から1/3
- ・電話番号: 0773-76-7211
- ・料金: 無料
- ・オススメの時期: 春
- ・公式サイトURL: http://www.maizuru-kanko.net/spot/sightseeing/tanabejyo.php
戦国時代を生き抜き、不肖の息子が問題を起こしつつも、ただ一人の妻と77年の寿命を全うした、朝廷も惜しんだ豊かな才能の持ち主、細川幽斎の、最も活躍した時代の記憶が残る場所です。
日本にこのような凄い人が実在したという事を知るだけでも面白いのではないでしょうか。