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大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)をご存知でしょうか。長崎市にある国宝に指定された教会なのです。歴史は日本最古とされ、1865年にまでさかのぼります。江戸時代も終わりにさしかかっていた当時、「隠れキリシタン」として迫害されてきた人々が、このスポットに訪れたことで潜伏信徒がいたことが分かった、というエピソードは有名でしょう。そうした経緯も資料室で学ぶことが出来ます。今回は、そんな場所の魅力を一挙に紹介します!1.大浦天主堂とは?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B5%A6%E5%A4%A9%E4%B8%BB%E5%A0%82
大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)とは、長崎県長崎市にあるカトリックの教会堂です。1865年に建立されたという、現存する日本最古のキリスト教建築物で、正式名は「日本二十六聖殉教者堂」です。日本二十六聖人のために捧げられていて、殉教地の長崎市西坂に向いて建てられています。1953年に国宝に選ばれ、2007年にユネスコの世界遺産の暫定リストに掲載されました。
大浦天主堂はフューレ神父やプティジャン神父、ジラール神父のほか、当時の棟梁であった小山秀の協力のもとでつくられました。当時はキリスト教禁止の禁教令が出されていたこともあり、現存する大浦天主堂は禁教令によって命を落とした人々の魂を慰めるという意味でも重要な意味がありました。
2.大浦天主堂の魅力
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B5%A6%E5%A4%A9%E4%B8%BB%E5%A0%82
大浦天主堂の一番の魅力といえば、やはり聖堂内のステンドグラスでしょう。大浦天主堂のステンドグラスは正面祭壇奥にある幅1.5m・高さ3mの「十字架のキリスト」像が代表的です。十字架上のキリスト、その右の聖母マリア、左の使徒ヨハネ、十字架の下にはひざまづいているマグダレナ・マリアが描かれています。国宝にもなっている教会なので、もちろんステンドグラス以外にも教会全体で歴史を感じることができます。
大浦天主堂は、国宝としての価値だけでなく、世界遺産の候補にも選ばれるほどの価値を秘めています。もちろんステンドグラスなどの見た目もそうですが、禁教令を潜り抜けてきた教会としての価値もまた然りです。
3.見どころ・お勧めポイント
大浦天主堂へと出かけるなら、スポットとしての魅力や背景を知っているとより楽しむことができます。ポイントごとに天主堂の魅力を紹介するので、訪れた際の注目ポイントとしてチェックしてみましょう。美しいステンドグラス
http://www.kominka-ibaraki.com/blog/4104.html
大浦天主堂のステンドグラスは日本最古のステンドグラスとも言われています、日本で国宝といえば、歴史的に文化意義があるものが多くて、寺院仏閣や日本風の書画骨董などが多いですが、洋風のものは大浦天主堂が唯一の国宝とされていて、この国宝に選ばれた理由の大きなひとつが、日本最古と言うステンドグラスなんです。やはりキリスト教の教会といえば、ステンドグラスが有名ですよね。この大浦天主堂もキリストや十字架などが描かれたステンドグラスがあります。ただ台風や原爆の影響によって、一部のステンドグラスは改修されたものもあります。最古といわれているのは、高窓や側廊の部分です。
キリシタン資料室
http://yasu-notebook-jp.blogspot.jp/2012/02/blog-post_20.html
キリシタン資料室は、旧ラテン神学校の一階にあります。五つの部屋があり、大浦天主堂を拝観なさった人なら、自由に見学ができます。展示内容は、フランシスコ・ザビエルの布教、踏み絵やマリア観音等の迫害時代、大浦天主堂創建当時と浦上四番崩れなどです。 現在のキリシタン資料室は、旧羅典神学校であり、かつてはラテン語で授業が行われていました。現在は、日本とキリスト教にまつわる様々な資料を見ることができます。当時のキリスト教への迫害など貴重な歴史を知れるきっかけになるやもしれませんね。
オラショの店
http://wikimapia.org/21138107/ja/%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%81%AE%E…
オラショの店とは、信心道具の売店です。ちなみにオラショとは「祈り」という意味です。宗教画の複製・ポストカードなどがあります。国宝にも指定されている教会のお土産になにか購入してみはいかがでしょうか?大浦天主堂を訪れたのであれば、訪れた記念として何かを残したいものです。そんな気持ちに応えて、オラショの店では記念となるようなグッズのほか、キリスト教信仰に関するものが販売されています。お土産はもちろん、記念や思い出にいかがでしょう。
4.日本最古の教会、大浦天主堂が伝えていることとは何?
大浦天主堂建設の経緯は実に1570年の長崎開港にまでさかのぼる事になります。長崎港が開港するに当たっては当時の長崎の領主であったキリシタン大名の大村純忠がイエズス会に長崎港周辺を寄進したり、ローマに天正少年使節団を長崎港から送り出すなどしている事から、教会の熱心な活動が分かります。長崎開港当時は日本におけるキリスト教の拠点として10を超える教会があったようです。これは大村純忠の領民6万人がキリシタンになっていたからでしょうが、キリスト教禁教令が出ると、多くの人は元の宗派に戻り教会は取り壊される事となったようです。
日本の中でも比較的ヨーロッパの文化が入ってきやすかった長崎。しかしそんな長崎でも禁教令の風当たりは強いものでした。次々と教会がなくなっていく中、そんな時代を経て残る大浦天主堂。歴史的な価値以上に、人々の思いが詰まった教会だったのでしょう。
日本における最古のキリスト教会として
この大浦天主堂は1865年2月に建てられた現存する日本最古のキリスト教会です。つまり、幕末期の開国でキリスト教が再興された一番の建築物なのです。最初は外国人がこの教会で祈りを捧げるために建設されたものでしたが、浦上の隠れキリシタンたちが教会を訪問した事で「信徒の存在」が発見されたのです。この驚きのニュースがローマの法皇にまで届いた時、法皇は大変感激されたと伝わっています。きっとこれは普通の事ではない。東洋でおきた大変な奇跡だと思われたことでしょう。
西坂の聖地に向けて天主堂が建てられた意味とは?
この教会が西坂に向けて建てられたのは、そこが殉教の聖地であるからです。つまり大浦天主堂は創建に当たって、守護聖人となった26人の殉教場所に向かって建てる事を最初から決めていた訳です。その意味は勿論、欧米諸国の人々が長崎をアジアの通商拠点として寄港し、安心して居住するためのものであったことで、その心の拠り所として聖人の殉教地に近い場所が選ばれたのでしょう。ちなみに創建時には現在と違って正面に3つの鐘塔があったとされています。
5.大浦天主堂は日本二十六聖人に捧げられたもの
大浦天主堂は正式名を日本二十六聖殉教者堂と言いますが、これはつまりキリスト教の聖人に捧げられた教会という事。彼らは安土桃山時代に殉教して、後に列聖に加わる事になった26人のクリスチャンなんですね。彼らは10代の少年から60代の老人までの男性であったという事でしたが、日本ではじめての殉教者として世界中に知られている訳です。きっとキリストの教に背いて命ごいするのではなく、永遠の命を得るために処刑される事を選んだ事が人々に感動を与えたのでしょう。
国宝になるほどの大浦天主堂が持つ価値とは?
宣教師ルイス・フロイスなどの人たちの手紙によって、この殉教事件がポルトガルやスペイン、メキシコなどにも伝えられ、大きな反響を呼んだようです。死を目前にして聖人の一人はこう言った伝えられています。
「わが主の大いなる恵みに感謝します。」
このように、この教会が単なる建造物ではなく、日本で殉教した聖人たちのために建設された事で非常に価値あるものになったという事が分かって来ますが、それはまたこの教会から日本におけるキリスト教の歴史が再び始まったからでもあるでしょう。
6.大浦天主堂と信徒発見のマリア像
この教会の右側の祭壇にフランスから持って来た小さな聖母子像があります。勿論マリア様と幼いイエス様ですが、日本国内に7代にも渡って潜んでいたキリスト教信徒の発見に大きく関わっています。大浦天主堂が出来た当時は既に開港はしていたものの、まだキリスト教禁教令が解けなかった時代でした。そんな時にこの珍しいキリスト教会に訪問した多くの見物人の中に、司祭に質問攻めをする女性たちの姿がありました。彼女たちは実は隠れキリシタンの人たちで、彼女らは司祭のいなかった日本で代々ずっとキリスト教信仰(カトリック)を守って来たのですが、この教会が自分たちと同じキリスト教信仰の仲間なのか確かめるために来ていたのです。
マリア様と隠れキリシタン
彼女たちはサンタマリヤについての質問を司祭にしました。そして、それを聞いた司祭が聖母子像の前に彼女たちを連れて行ったところ、彼女たちはマリア様のお像を見て同じ信仰の仲間である事が分かったそうです。その後は彼女たちのような隠れキリシタンが続々と出て来る事になりました。この「信徒発見」がローマ法皇に伝わり、東洋の奇跡と言われる事になったのです。この小さなマリア像を通して行われた「出会い」には歴史的な重みがあると思います。
7.カテドラルと大浦天主堂
カテドラルとは司祭を束ねる司教の座としての最も重要な教会堂の事。古くからカテドラルはキリスト教権威の象徴にもなっているそうですが、大浦天主堂は創建して4年後の1866年にカテドラルになりました。司教にはプティジャン神父から始まり、パウロ・山口愛次郎神父まで、何度も司教座聖堂として日本のキリスト教発展の役に立ちました。以下に代表的な司祭を数人ご紹介します。
プティジャン司教
プティジャンは日本におけるキリスト教の活動再開後初の日本司教となった人で、大浦天主堂の敷地内にはプティジャンの像があります。1866年に司教に任命されて、大浦天主堂をカテドラル=司教座としました。フランスに生まれたプティジャンにとってはパリ外国宣教会に入会した事が日本への宣教につながりました。最初は大浦の外国人居留地に住むフランス人を指導する任務だったようですが、大浦天主堂が建てられた約一ヶ月後に天主堂の庭で日本人隠れキリシタンに声を掛けられ、「信徒発見」の声を世界中に伝える役割をしたという事です。
早坂久之助司教
早坂久之助は1927年に日本人として初めて司教となった人で、長崎司教として10年間、大浦天主堂をカテドラルとしたようです。在任中は来日した聖コルベ神父の活動を助力したり、聖コルベに教区の神学校で哲学を教えるよう要請したと伝えられています。仙台生まれの早坂さんは両親がカトリック。仙台の高校を卒業してからローマの大学に留学した後に司祭となり駐日ローマ教皇使節の秘書として活動。バチカンで司教となり、日本に戻ったという経歴の持ち主です。現在の長崎純心大学は早坂が創立した女子修道会である長崎純心聖母会がその母体。
山口愛次郎大司教
山口愛次郎は1937年に司教になった人で、その後の25年間を大浦天主堂をカテドラルとして活動していたようです。もっとも戦争中はインドネシアに赴任され現地の信徒指導をされていた時期もあったようですが、その後の1959年に初代の長崎教区大司教に任命されたとの事です。ちなみに山口は浦上の生まれ。隠れキリシタンとして信仰を守り続た村の出身です。長崎の神学校で教えたり、大司教在任中は1962年には大浦天主堂で日本二十六聖人列聖記念100年祭のミサを行うなどの経歴があり、長崎の歴史と共に生きたようです。
8.訪問者・体験者の声
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— 小路 Koji (@koji_hhk) 2014, 11月 23
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— じゅん (@junshine) 2013, 12月 22
大浦天主堂を訪れた人の口コミには、天主堂の美しさに心を奪われた声や、ライトアップされた天主堂の素晴らしさにを伝える写真から、感動を伝えたいという気持ちが垣間見えます。ぜひ自身の足でその素晴らしさを感じたいものですね。
9.「大浦天主堂」についての詳細 ・基本情報
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■ 基本情報
- ・名称: 大浦天主堂
- ・住所: 長崎県長崎市南山手町5−3
- ・アクセス: 長崎電気軌道5号系統 「大浦天主堂下」電停下車 徒歩5分
- ・営業時間: AM 8:00 ~ PM 6:00
- ・定休日: 年中無休
- ・電話番号: 095-823-2628
- ・料金: 大人300円 小学生200円
- ・公式サイトURL: http://www1.bbiq.jp/oourahp/index.html
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大浦天主堂は、荘厳な建物で、中にもステンドグラスがあしらわれているなど、神聖さを身に染みて感じられます。近くにある資料室でキリシタンがどのような歩みを辿って来たかを学ぶことも出来ますし、クリスマスの時期になると、イルミネーションでライトアップされ、また一味違う姿を見せてくれます!帰りにはぜひともオラショの店でお土産を買っていきましょう。魅力がたっぷり詰まったこのスポットに、ぜひ一度足を運んでみてください!