かつて米国大統領の命令により原爆攻撃が行われた広島に、核兵器廃絶を祈念するためにと、現職の大統領がはじめて平和記念公園を訪れました。核兵器廃絶と世界の恒久平和を願う聖地となっているのが、世界ではじめて原爆攻撃を受けた「ヒロシマ」の平和記念公園です。
1.平和記念公園とは?
1945年8月6日。広島に原子爆弾が落とされました。一発の爆弾で壊滅的な被害を受けた広島は、平和への訴えを目的としてこの場所に公園を作る事に決めました。広大な敷地の北側には原爆ドームが、そして南側には広島平和記念資料館があります。 bryan…
平和記念公園の中には、平和を願う沢山の碑や像が置かれ、原爆の犠牲者を悼んでいます。毎年、原爆が落とされた8月6日になると「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」、通称「平和記念式典」が開催されます。爆発した時刻である午前8時15分には黙祷が捧げられ、児童により「ひろしま平和の歌」が合唱されます。
2.平和記念公園のみどころ
平和記念公園に訪れたら、是非立ち寄って欲しいポイントご紹介します。ぜひ参考にして下さいね!広島への原爆投下は人類史上初、長崎と合わせて日本は世界で唯一の原爆による被爆国となりました。反米感情ではなく、世界の恒久的な平和を願ってさまざまな資料館やモニュメントが設置されています。国内はおろか、今や全世界の注目を集め、外国人観光客が多く訪れています。
原爆ドーム
やはり、平和記念公園というだけでなく広島に来たら訪れて欲しいのが原爆ドームです。実際にそのドームを見て、素直に感じた思いをそれぞれが大切にしてほしいと思います。世界遺産に登録されている建物で、「負の世界遺産(人類の過ちを後世に伝え、戒めとする世界遺産の総称)」のひとつです。爆心地からほど近いにもかかわらず、偶然の重なりにより奇跡的に残りました。
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広島平和記念資料館
原爆ドームと併せて訪れて欲しいポイントです。海外の方も沢山訪れており、公平な展示内容には高い評価が寄せられています。客観的な目で収集・展示された資料は必見ですよ!原爆が投下された午前8時15分で止まっている時計、被曝死した3人の動員学徒の制服の残骸を組み合わせた「三位一体の遺品」、強烈な熱線により人が腰掛けていた部分が黒く変色した石段「人影の石」など、胸が苦しくなるような展示品ばかり。
http://blog.goo.ne.jp/escassy1/e/3823c69dad293012a068ec5bb85039d1
原爆の子の像
原爆の子の像は、実在した佐々木禎子という少女をモデルにしています。被爆し白血病を患った禎子は完治を願って鶴を折り続けました。願いむなしく、彼女は死んでしまいますが禎子の同級生が寄付を募り、この像が建てられたそうです。平和記念公園のシンボルとなっているモニュメントです。像の下に設置された石碑には「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」と刻まれています。さらに、モニュメントの周囲には色鮮やかな折り鶴が保管されています。
http://www.panoramio.com/photo/73394631
原爆死没者慰霊碑
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絶えず人が訪れ、花が欠かすことなく飾られる慰霊碑。記念資料館と原爆ドームを一直線で結ぶ位置に建てられています。この慰霊碑には、国内外を問わず原爆により被爆死した全ての被害者の名前が刻まれており、関係者や遺族による申し出などから毎年書き加えられています。当時の広島市長がアメリカの「無名戦士の墓」に感銘を受けて、設置されたそうです。
被爆したアオギリ
このアオギリは、爆心地から少し離れた場所で被爆し、半分の幹が焼け焦げた状態で発見されました。ところが翌年、青々とした葉を茂らせたアオギリに人々はとても勇気づけられたそうです。今ではいくつもの種子や株は色々な場所で育っています。広島の被爆樹木を代表する木です。このアオギリの苗木「被爆アオギリ二世」は日本国内を含め世界中に植えられており、原爆投下の命令を下したトルーマンが設立したという「トルーマン図書館」にも植えられているそう。
http://www.kominka-shimizu.com/blog/1865.html
平和の時計塔
昭和20年(1945)8月6日午前8時15分に、米国陸軍航空軍所属のB-29爆撃機・エノラゲイほか2機によって、広島は原子爆弾の攻撃を受けました。平和の時計塔は、原爆による攻撃が行われた毎日8時15分にチャイムを鳴らし、「ノーモアヒロシマ」を全世界に訴え続けています。平和の時計塔は、人類の恒久平和実現への願いから、球体の3方向に文字盤がある時計が、3本の鉄塔で支えられ20mの高さの塔上に置かれています。球体は世界人類を象徴し、球体を支える3本の鉄塔はヒロシマ市民の祈りの手と、無限に伸びて行く平和への希望を表すとされています。
なお、このチャイムは環境省による「残したい日本の音100選」 のひとつに選定されています。当初、平和記念公園を設計した建築家・丹下健三により園内でのモニュメント新規建立は禁じられていましたが、幾度もの会談を通して設立されました。
平和の灯
広島への米軍の原爆攻撃によって、水を求めながら死んでいった多くの人達を慰めるため、核兵器廃絶と世界恒久平和を願いを込めて、昭和39年(1964)8月1日に建立されたのが平和の灯です。丹下健三が設計したモニュメントの台座は、手首を合わせて手のひらを大空に広げた様を象っています。平和の灯に点されている火は、昭和39年8月1日に点火されてから消えることなく燃え続け、「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっています。
なお、この火は日本に存在する12の宗派から寄せられた「宗教の火」、全国各地の工業地帯から寄せられた「産業の火」が火種となっています。地域はもちろん、宗教の垣根すらも越えた貴重な火となっています。
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
国として原子爆弾死没者への追悼の意を表し、永遠の平和を祈念するために広島と長崎に設けられた施設のひとつが、平成14年(2002)8月1日に開館した国立広島原爆死没者追悼平和祈念館です。平和祈念館は、平和祈念・死没者追悼と被爆関連資料や情報の収集・提供を行っています。地下2階にある平和祈念・死没者追悼空間は、爆心地の旧「島病院」付近から見た被爆後の広島の街並みを、昭和20年(1945)末までの死没者数と同数の約14万枚のタイルでパノラマ再現しています。グラウンドゼロに位置する中央の水盤は8時15分を表し、原爆死没者追悼のために水を捧げています。
募集した被爆者の名前・遺影や被爆体験記、遺品を展示・紹介されている施設です。平和記念資料館とはまた異なる角度から当時の様子や被爆者たちの声を知ることが出来ますので、こちらも必見のスポットとなっています。
平和記念公園レストハウス/元大正屋呉服店
平和記念公園となった中島地区で、唯一原爆を乗り越えて残っているのが、爆心から南西に約170mの場所に建ち、平和祈念公園レストハウスになっている元大正呉服店です。大正呉服店は、昭和4年(1929)に建てられた地上3階・地下1階の店舗で、戦中・戦後には燃料会館となっていました。原爆攻撃時には37人が勤務しており、8人が傷つきながらも脱出しましたが、地下にいた1人(昭和57年死去)を除き、全員が命永らえることはありませんでした。
平和祈念公園の建設で取り壊しが検討されましたが、昭和32年(1957)に広島市の所有となり、東部復興事務所となった後、昭和57年(1982)から平和祈念公園レストハウスになりました。地下室は現在も原爆攻撃当時の姿をとどめており、事前予約をすれば見学を行うことが出来ます。
相生橋
昭和7年(1932)に架け替えられた相生橋は、昭和9年(1934)にT字形の橋となり、その形ゆえに原爆攻撃の目標点となりました。8月16日の原爆攻撃の際に原爆投下機となったエノラゲイは、相生橋を照準点にして原爆を投下して、300m離れた島病院の上空で爆発しました。相生橋は原爆攻撃により橋桁は変形し、北側の欄干は川に落ち、歩道の一部が持ち上がり、橋付近にいた人達はほぼ即死だったとされています。原爆の爆発に曝された相生橋は、昭和58年(1983)に架け替えられ、親柱が東橋詰に、爆風で変形した橋桁の一部が広島平和記念資料館に保存されています。
平和大通り
広島の中心部を東西に貫く長さ4km、幅100mの平和大通りは、戦時中に建物疎開によって強制的に作られた防火帯でした。原爆攻撃を受けて壊滅した広島の地には、75年間は草木も生えないと言われましたが、自然の力は偉大なもので、2ヶ月後には新しい芽吹きが確かめられました。75年など経ることないうちに、緑あふれる緑地帯となっている平和大通りは、広島市民の憩いの場所となっており、毎年恒例となった広島フラワーフェスティバルの会場になるなど、平和記念公園と共に平和都市広島のシンボルとなっています。
3.平和記念公園に行くのなら
広島は路面電車が走っている町で、広島駅から平和記念公園に向かうには、広島駅前から広電の2・6系統に乗って、原爆ドーム前で下車するのが定番となっています。広電に乗ってビルの建ち並ぶ八丁堀から紙屋町かけて走れば、広島の復興と発展が良くわかります。せっかくの広島なので、平和記念公園に向かうついでに、広島をのんびりと遊覧したり、平和記念公園から宮島へクルージングするのも、旅の良い思い出となるでしょう。
ひろしまめいぷる~ぷ
広島駅新幹線口が始終着バス停となっているひろしまめいぷる~ぷは、平和公園・美術館経由のオレンジルートと、平和公園・お好み村経由のグリーンルートの2ルートある広島観光ループバスです。平和公園と共に、広島市内の観光スポットなどに立ち寄るには、とっても便利なバスとなっています。オレンジルートは、新幹線口▶県立美術館前・縮景園前▶広島城▶ひろしま美術館前▶紙屋町▶原爆ドーム前▶平和公園前▶八丁堀▶現代美術館前▶新幹線口です。
グリーンルートは、新幹線口▶八丁堀▶紙屋町▶原爆ドーム前▶平和公園前▶お好み村前▶県立美術館前・縮景園前▶二葉の里▶広島東照宮前▶新幹線口です。
■ 基本情報
- ・名称: ひろしまめいぷる~ぷ
- ・運行区間: 広島駅新幹線口~広島駅新幹線口
- ※ オレンジルート(平和公園・美術館経由)、グリーンルート(平和公園・お好み村経由)
- ・運行時間: 広島駅新幹線口|オレンジルート9:00~17:30、グリーンルート9:15~17:45
- ・運行日: 毎日
- ・料金: 1乗車|大人200円、小児100円 1日乗車券|大人400円、小児200円
- ・電話番号: 082-261-0622
- ・公式サイトURL: https://www.chugoku-jrbus.co.jp/teikan/meipurupu/
めいぷるスカイ・広島市内平和記念公園下車コース
広島市内を二階建てオープンバスでシティクルージングできるのが、広島駅新幹線口が始終着バス停となるめいぷるスカイです。めいぷるスカイには、広島市内をぐるりと廻りながら、車窓から観光スポットを楽しむ広島市内ドライブ車窓コースと、平和記念公園下車コースがあります。広島市内平和記念公園下車コースは、新幹線口から広島城に向かい八丁堀を経て、原爆ドームで一旦下車します。平和記念公園を約1時間観光したのち再び乗車して、平和大通りを走ってマツダスタジアムから新幹線口に戻るコースとなっています。
■ 基本情報
- ・名称: めいぷるスカイ・広島市内平和記念公園下車コース
- ・運行区間: 広島駅新幹線口~広島駅新幹線口
- ・運行時間: 広島駅新幹線口|15:10
- ・運行日: 毎週金~日、祝日、GW・夏休み等
- ・料金: 大人2,000円、小人1,000円
- ・電話番号: 082-261-0622
- ・公式サイトURL: https://www.chugoku-jrbus.co.jp/teikan/meipurusky/
広島世界遺産航路
広島にある2つの世界遺産を結んでいるのが、元安橋たもとにあるもとやす桟橋と宮島3号桟橋との間を、高速船で航行している広島世界遺産航路です。船は川を通航している間はゆったりと低速で運航して、川からの広島の街並みを、デッキに出て眺めることが出来ます。海に出れば高速船本来の高速運航となって、瀬戸内海の美しい景色の中を、クルージングしながら宮島に向かいます。
■ 基本情報
- ・名称: 広島世界遺産航路
- ・運行区間: 平和記念公園~宮島
- ・運行時間: 平和記念公園8:30~17:10、宮島8:40~17:30
- ※予約制、潮位によって欠航あり、臨時便あり
- ・運行日: 毎日
- ・料金: 片道|大人2,000円、小人1,000円、往復|大人3,600円、小人1,800円
- ・電話番号: 082-240-5955
- ・公式サイトURL: http://aqua-net-h.co.jp/heritage/
4.平和記念公園を訪れた人の感想
http://www.kominka-shimizu.com/blog/1865.html
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g298561-d1165220-r211933903-Hiroshima_…
こういった場所を訪れることで、普段考えることの無かった事に気付くきっかけになると良いですよね!
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g298561-d1165220-r211808918-Hiroshima_…
■ 基本情報
- ・名称: 平和記念公園
- ・住所: 〒730-0811 広島県広島市中区中島町1
- ・アクセス:広島駅前から広島電鉄電車「宮島口」「江波」方面行に乗車し、「原爆ドーム前」下車
- ・電話番号: 082-504-2390
- ・料金:無料
美しい川と緑あふれる都市の広島は、原爆攻撃によって水を求めながら多くの人達の命が失われ、75年は草木も生えないと言われた、世界ではじめて原爆攻撃が行われた「ヒロシマ」です。平和記念公園に出かけて、平和のありがたさと戦争と政治の愚かさとを、今一度考えてみなくてはならないでしょう。