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聖路加大学があるこの土地にはかってな芥川龍之介の生家がありました。牛乳販売「耕牧舎」で近辺には乳牛の牧場があったようです。かっては赤穂浪士浅野家の鉄砲州上屋敷があった所でもあり、歴史と文学を同時に思わせる地でもあるのです。
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1、芥川龍之介生誕の地とは?
羅生門、鼻、蜘蛛の糸等の短編小説は、教科書でもお馴染みの作品。聖路加病院の敷地内に、看板があり芥川龍之介の生誕地と記されています。この地に住んでいたのは短かったようですが、両国、江東尋常高等小学校、府立第三中学校まで芥川龍之介の足跡が残されています。2、芥川龍之介生誕の地の魅力
生誕地なだけに碑は残されていますが、家は既に存在していせん。生後8ヶ月後には母方の伯父に引き取られて両国へと住居を変えています。第一高校に入学した秋には、内藤新宿に住居を移しさらには終生の住まいとなる北豊島郡滝野川へと移り住んでいます。この地から芥川龍之介の足跡を巡ると、あちこちで色んな碑を見られます。3、芥川龍之介生誕の地から足跡を追う
1、赤穂浪士浅野家跡
赤穂浪士浅野家の上屋敷があった場所と生誕地が重なっている事から、芥川龍之介生誕の地碑の隣には「浅野匠頭邸跡」碑が立っています。お家断絶の後には、何人かの屋敷を経て田沼玄蕃頭の屋敷となり、隣には松平周防守の屋敷がありました。
2、芥川龍之介文学碑~『杜子春』
生誕地から国道を南に歩いていくと両国小学校が見えてきます。ここは芥川龍之介の母校でもあり、文学碑が建てられています。代表作の杜子春の末尾から抜粋された仙人との問答が残されていて、未来のある子ども達へのメッセージに相応しいものです。
3、芥川龍之介文学碑~『大川の水』
両国高校内にも文学碑が残されていますが、こちらは芥川龍之介が19歳の時に書いたものだそうです。若くして才能を開化させた、芥川龍之介の迸る言葉は多くの高校生に感銘を与えてくれるでしょう。
『自分に「東京」のにほひを問う人があるならば、自分は大川の水のにほひと答えるのに何の躊躇もしないであろう。独にほひのみではない。大川の水の色、大川の水のひゞきは、我愛する「東京」の色であり、声でなければならない。自分は大川あるが故に、「東京」を愛し、「東京」あるが故に、生活を愛するのである』
高校生でこれを書いた芥川龍之介は、この後多くの作品を世に残し日本文学に大きな功績を残しました。芥川龍之介生誕の地から、彼が転々とし学問を学んだ足跡をゆっくりと散策して彼の素晴らしい作品に触れてみると、新しい発見が生まれるかもしれません。
4、芥川龍之介生誕の地を訪れた人の声
邸跡にならんで芥川龍之介生誕の地
両国は生育の地
何かの因縁があるのか? pic.twitter.com/m6CmRu1ZvN
— クッカバラ (@Hattrickt2y) 2013, 12月 14
一人旅中!!ここに、赤穂藩主浅野家の上屋敷があったらしい。内匠頭もここから江戸城に登城してたとか。芥川龍之介生誕の地碑もあった。 pic.twitter.com/vgXFDCoU
— みぃ (@mii_mana) 2012, 4月 28
5、芥川龍之介生誕の地の詳細
基本情報
- ・名称:芥川龍之介生誕の地
- ・住所:東京都中央区明石町10
- ・アクセス:東京メトロ日比谷線 築地駅
- ・公式サイトURL: