公益質屋跡とは?
1929年に当時としては珍しいコンクリート造りの建物。元は高利貸しの暴利に泣く貧民を救うための施設でした。
第二次世界大戦で島中の建物が焼き尽くされた伊江島でしたが、唯一残った建物で、かろうじて原型を留めているのがこの公益質屋跡。銃弾や砲弾を受けた跡が生々しく、その惨状を今でも伝えております。
公益質屋跡について
この建物を見るだけでも、戦争の激しさを見ることが出来ると思います。こういう場所が残っていることで、やっぱり戦争はするものではないなと、改めて思うことも出来ます。
公益質屋跡周辺の見どころ・お勧めスポット
①伊江ビーチ伊江港から東に進むと1.5Km弱で伊江村青少年旅行村という施設の入り口に着きます。
そのままゲートで100円の料金を払っていくと、伊江ビーチに。ここは伊江島唯一の大型ビーチです。
綺麗な海を見ながらゆっくりするのも旅の醍醐味ですよね。
②ミンカザントゥ
昭和15年頃に作られた、岩盤を利用して雨水を受け、それをこの岩盤の下に作った貯水タンクのようなもの。当時、水があまりなかった島民達の知恵を絞ってつくられた場所です。
③アハシャガマ
こちらも戦争の悲惨さを今に伝えている洞窟。
ここでも多くの方がなくなられてしまったそうです。
④城山(タッチュー)
比較的平坦な島のやや東に、本島からもはっきり解るくらい唐突に突き出した山が有ります。
それが城山、俗称はタッチュー、もしくはイータッチューと呼ばれている172mある岩山です。
ここは伊江島の中でも有名な場所のようですね。
参加者の声
第二次世界大戦で米軍の激しい攻撃を受けた伊江島で、唯一残った建物である。 公益質屋は、1929年に政府の融資を受けて設立された村営の金融機関であり、世界大恐慌の時代の生活苦から貧民を救う福祉施設として機能していた。 銃弾や砲弾の跡が生々しく残り、その外観も含めて、戦争の悲惨さを訴えかけているかのような感じがする。 城山の麓に近いロケーションで、島内では住宅街のエリアにあたる。 団結道場と同じく、静かな周囲と対照的な外観にインパクトがあり、 戦争の傷跡を浮き彫りにしている。
http://plaza.rakuten.co.jp/mangrove1970/diary/201301270000/
しかし、第二次世界大戦において、伊江島には日本軍の飛行場があった為、伊江村は、米軍の攻撃目標にされ、艦砲射撃によって、島内の民家などの建造物がほとんど破壊 焼失されましたがこの公益質屋跡だけが辛うじて原型を留めていました 今でも銃弾や艦砲射撃の際に飛んできた破片の跡などが外壁に生々しく残り、内部もひどく損傷していました
http://flyinthesky2012.blog.fc2.com/blog-date-20140515.html
戦争で唯一残った建物です。 その凄まじさがうかがえます。 こんな美しい島が戦場だったのです…。 トップ画像にも、 『非核 平和宣言の村』とあります。 そうです、絶対に繰り返してなりません。 核武装、戦争はしては駄目なのです
http://www.chanyuh.com/blog-entry-1005.html
■ 基本情報
- ・名称:公益質屋跡
- ・住所:沖縄県国頭郡伊江村東江上75
- ・アクセス:伊江港→車5分
- ・電話番号:0980-49-2906(伊江村役場 商工観光課)
- ・料金:無料
- ・公式サイトURL:http://www.iejima.org/document/2015011000176/(伊江村)
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素材提供:トリップアドバイザー