栄螺堂(さざえどう)は、江戸時代後期の東北~関東地方に見られた特異な建築様式の仏堂です。堂内は回廊となっていて非常に珍しい建築物です。これからご紹介する3つのさざえ堂は、それぞれ造り方(内部の巡り方)も違っており「日本三大さざえ堂」と呼ばれています。
曹洞宗 祥寿山曹源寺(しょうじゅさん そうげんじ)。北関東自動車道の太田桐生インターのすぐ近くに位置します。
寛政5年4月(1793)に関東の大工の祖といわれた町田兵部栄清により建てられた「さざえ堂」。間口・奥行きともに16.3m、高さ16.8m。外見からは2階建てに見えるが、内は3階建て。堂内は回廊式といって同じところを2度通らずに元のところに戻れる構造をとっています。
※ 平成27年9月28日より平成29年7月31日(予定)において本堂大規模補修工事の為、堂内拝観できません※
正式名称を、成身院百体観音堂(じょうしんいん ひゃくたいかんのんどう)といいます。外観は2階建てだが内部は3層構造。1層は秩父三十四札所・2層は坂東三十三札所・3層は西国三十三札所の観音が安置されている。合計 百観音であります。太田の曹源寺と造りが違い、3階までは普通に登り、帰りは3階から1階まで一気に階段で降りる造りです。
江戸時代の成身院は、100箇寺以上の末寺を統管しており、この籠はその時代に僧侶が乗っていたものだそう。
日清・日露と戦争が続き資金繰りが厳しい中、村人総出で建設の手伝いもし、明治43年(1910年)に観音堂が完成したが、この時に安置された観音像は60体のみ。そして大正8年(1919年)には秋祭りの花火が元で、今度は本堂が全焼してしまいました。太平洋戦争後の荒廃の時代には、約半数の観音像が盗まれてしまいましたが、その後、銅像に限らずに観音像の寄進をお願いして現在に至っているそうです。
らせん階段を登るとミシミシもの凄い音がします。現在は補強のため釘を打っているが、昔は一切そういった金具は使用せずに建てたとのこと。
昔は三十三観音を安置していたが、明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり、堂内にあった三十三観音像は他所へ移され、代わりに皇朝二十四孝(会津藩道徳教本)の絵額が取り付けられています。
3つともとても個性的な建築物です。それぞれ場所が離れていますので、一度に訪問という訳には行きませんが、3つ訪問すれば御利益何百倍は間違いなし?
1.曹洞宗 祥寿山曹源寺(群馬県太田市)
http://blog.livedoor.jp/gotokentarou/archives/67936984.html
曹洞宗 祥寿山曹源寺(しょうじゅさん そうげんじ)。北関東自動車道の太田桐生インターのすぐ近くに位置します。
寛政5年4月(1793)に関東の大工の祖といわれた町田兵部栄清により建てられた「さざえ堂」。間口・奥行きともに16.3m、高さ16.8m。外見からは2階建てに見えるが、内は3階建て。堂内は回廊式といって同じところを2度通らずに元のところに戻れる構造をとっています。
【オススメポイント】 計100札所の観世音菩薩を模した観音様(寄木造)が安置されています。
http://blog.livedoor.jp/gotokentarou/archives/67749990.html
堂内はらせん状に三階建てとなっていて 1階正面に本尊の魚藍観世音菩薩が祀られています。その左側の通路より右回りに進んで行くと 2階3階と上がっていき また回りながら同じ道を通らずに1階に戻ってくる といった作りになっています。※ 平成27年9月28日より平成29年7月31日(予定)において本堂大規模補修工事の為、堂内拝観できません※
■ 基本情報
- ・名称:曹洞宗 祥寿山曹源寺(しょうじゅさん そうげんじ)
- ・住所:大田市東今泉町165番地
- ・公式サイトURL:http://sazaedou.wix.com/sougennji
2.成身院百体観音堂(埼玉県本庄市(旧児玉町))
http://blog.livedoor.jp/gotokentarou/archives/67936507.html
正式名称を、成身院百体観音堂(じょうしんいん ひゃくたいかんのんどう)といいます。外観は2階建てだが内部は3層構造。1層は秩父三十四札所・2層は坂東三十三札所・3層は西国三十三札所の観音が安置されている。合計 百観音であります。太田の曹源寺と造りが違い、3階までは普通に登り、帰りは3階から1階まで一気に階段で降りる造りです。
【オススメポイント】大きな鰐口と天井から吊られた籠
http://blog.livedoor.jp/gotokentarou/archives/67936507.html
江戸時代の成身院は、100箇寺以上の末寺を統管しており、この籠はその時代に僧侶が乗っていたものだそう。
日清・日露と戦争が続き資金繰りが厳しい中、村人総出で建設の手伝いもし、明治43年(1910年)に観音堂が完成したが、この時に安置された観音像は60体のみ。そして大正8年(1919年)には秋祭りの花火が元で、今度は本堂が全焼してしまいました。太平洋戦争後の荒廃の時代には、約半数の観音像が盗まれてしまいましたが、その後、銅像に限らずに観音像の寄進をお願いして現在に至っているそうです。
■ 基本情報
- ・名称:成身院百体観音堂(じょうしんいん ひゃくたいかんのんどう)
- ・住所:埼玉県児玉郡児玉町小平
- ・アクセス:JR八高線児玉駅からタクシーで10分
3.旧正宗寺・円通三匝堂(福島県会津若松市)
http://blog.livedoor.jp/gotokentarou/archives/67892286.html
これまでご紹介したさざえ堂と比べても、この旧正宗寺は一層特殊です。寛政8年(1796年)の建立・6角3層高さ約16m・昇り降り別々のらせん型通路により階段がなく、一方通行で上下するという日本唯一、世界的にも例のない建築であります。【オススメポイント】昔は一切クギ等の金具は使用せずに建てました。
http://blog.livedoor.jp/gotokentarou/archives/67892286.html
らせん階段を登るとミシミシもの凄い音がします。現在は補強のため釘を打っているが、昔は一切そういった金具は使用せずに建てたとのこと。
昔は三十三観音を安置していたが、明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり、堂内にあった三十三観音像は他所へ移され、代わりに皇朝二十四孝(会津藩道徳教本)の絵額が取り付けられています。
■ 基本情報
- ・名称:旧正宗寺・円通三匝堂
- ・住所:福島県会津若松市一箕町八幡弁天下1404
3つともとても個性的な建築物です。それぞれ場所が離れていますので、一度に訪問という訳には行きませんが、3つ訪問すれば御利益何百倍は間違いなし?