1.「恵解山古墳(いげのやまこふん)」とは?
京都府長岡京市、桂川右岸の高台にあり乙訓地方最大の前方後円墳です。後円部で多量の鉄器が納められた埋納施設が発見され話題となりました。こうした埋納施設が出土した例は珍しくこの地方を治めた有力者の存在を示唆するものです。2. 「恵解山古墳」の魅力
この地域を支配した有力者、700点にも及ぶ鉄器を埋葬できるほどの有力者、一体誰なのか?そんな恵解山古墳も戦国時代には明智光秀が山崎の戦いで本陣を置いています。明智光秀は残念ながら天下を取ることはできませんでしたが歴史の中でこの古墳は数奇な役割を果たしているようです。3.見どころ
鉄器の出土
昭和55年の発掘調査で、約700点にも及ぶ鉄製武器を納めた副葬品埋納施設が見つかりました。こうした例は全国でも珍しく、ここ乙訓全域を支配した有力な首長の墓と考えられています。鉄器は、大刀146点前後、剣11点、槍57点以上、短刀1点、刀子10点、弓矢の鏃472点余り・・・大変な量です。これほどの鉄器を持てる人物とはどんな人だったんでしょう?
長岡京市埋蔵文化センター
ここには、恵解山古墳の副葬品埋納施設から見つかった出土遺物の一部が展示されています。古墳時代古墳時代中期にはすでに鉄器が用いられていたことを示すその貴重な資料を、自らの目で眺めつつ、古代にこの地で勢力を持った有力者と当時の人たちの生活を想像するのも楽しいですね。午前8時から午後5時まで、土曜日と、第2・4日曜日はお休みです。入場無料ですよ!
明智光秀本陣跡
天下分け目の山崎の合戦で明智光秀が本陣を置いた場所とされる「御坊塚」は、ここ恵解山古墳とする最新の学説があります。平成23年に長岡京市埋蔵文化財センターが発表したところによると、この古墳には火縄銃の玉や兵が駐屯するために整地した痕跡があったとのことです。急ごしらえで作る陣の特徴を備えているそうです。古墳時代に勢力を持った有力者の墓が天下分け目の戦いの場であったなんて、ロマンを掻き立てられますね。
4.口コミ
ブログを更新しました。 『433「恵解山古墳公園」~乙訓地域最大』 ⇒ http://t.co/1ktnKkkVyA
— 中野伊助 (@NakanoIsuke) 2015, 7月 13
恵解山古墳(・ิω・ิ)ノ.·*❮いげのやまこふん❯ 初めてみた古墳。 上部にはお墓がありました。 pic.twitter.com/b0nPt5o5UB
— Kiu (@8kiu8) 2015, 7月 11
5.詳細
■ 基本情報
- ・名称: 恵解山古墳
- ・住所: 長岡京市勝竜寺30
- ・アクセス: JR東海道線「長岡駅」から徒歩約20分
- ・電話番号: 075-954-3557(長岡京市教育部生涯学習課)
- ・参考サイトURL: http://www.city.nagaokakyo.lg.jp/0000001139.html
歴史に名前は出てこないがこの地方を治めた有力豪族、その埋葬された鉄器の多さが物語っています。そしてここに陣を敷いた明智光秀は裏切り者として命を落とします。歴史って本当に面白いですね。