三原市とは?
三原市は、「浮城」の異名を持つ三原城の城下町を起源とする市である。中国地方の広島県のほぼ山陽沿岸の中央に位置し、瀬戸内海の温暖な気候に恵まれたまちです。JR山陽本線、呉線。瀬戸内の島嶼部への船また、本郷町には、広島空港があり、交通の要所としての役割を果しています。三原市の歴史
三原の名の由来は、旧三原市街地の後背にそびえる桜山などの谷間に、湧原、駒ヶ原、小西原の3つの川の流れ出たところにできた平地である原があり、その3つの「ハラ」から「三原」と呼ばれるようになったといわれています。三原市は、御年代古墳をはじめとする縄文・弥生・古墳時代の遺跡が数多く残されており、古くから人々の生活が営まれ、近畿と九州を結び四国と連絡する海上交通の要衝として栄えました。
平安時代より、穀倉地として栄え、戦国時代の智将小早川隆景が、1567年に三原へ築城し、現在の三原市の礎を築きました。 その後、城下町として繁栄し、明治時代以降は、三原地域は工業都市として、本郷・久井・大和地域は米作地域として発展してきました。
三原市のおすすめ
三原のタコ
三原といえば一番に思い浮かぶのが、”タコ”ではないでしょうか。その漁獲量は県内屈指で、町のいたるところにタコの文字を見ることができます。町中にはかわいいタコのモニュメントを見ることもできます。是非お気に入りのたこを見つけてみてはいかがでしょうか。三原やっさ祭り
毎年8月の第2日曜日を含む金・土・日の3日間開催され、中国地方を代表する夏祭りとして20数万人の人出で賑わいます。足の踊りといわれ、きまった踊りの型はなく、はやしのリズムにあわせ、三味線、鉦・太鼓・笛・四つ竹など賑やかなはやしと歌声にあわせ、各人思い思いに自由に踊るのが特徴です。三原だるま
江戸末期、上方から伝わった江戸だるまを生活の足しにと下級武士が作り始めたとこが始まりとされます。「三原だるま」には,四つの特徴があり、①「願いが成るように」と鳴り物(鳴る=成る)の鈴や小石を入れてあること ②豆絞りを巻いていること ③最初から目が描かれていること ④転んでも必ず起き上がることです。人のこぶし大のだるまを「にぎりだるま」といい、家族の人数分のだるまを買い、裏にそれぞれの名前を書いて神棚にお供えし、安全と繁栄を祈ります。
イベント
本郷沼田川あゆまつり
沼田川の豊かな自然を知ってもらおうと、本郷沼田川漁協が毎年開催する夏恒例のイベント。アユのつかみ取りに挑戦したり、アユの塩焼きや炊き込みご飯を味わうことができ、毎年家族連れ等で大いに盛り上がります。また、三原市主催による親子水辺教室も同時開催され、川にすんんでいる生きものや水質などについて学ぶことができます。
神明祭
「神明祭」とは、伊勢神宮を祀る祭りのことをいいます。この信仰が全国に広まったのは、室町末期で、三原もその頃、この地方の港町として栄えつつあり、当時、九つの町組が寄り合って始めたのが祭りの起こりと言われております。毎年2月の第2日曜日を含む前3日間、東町、館町、本町一帯で行われる神明祭りは、とんどをまき、神棚を飾り、伊勢神宮の弊を観請し、あちらこちらの店先に翁人形やだるまを飾りつけ、東町、館町一帯に数百の露店が立って、身動きできない程の人出で賑わいます。「神明祭」とは、伊勢神宮を祀る祭りのことをいいます。
この信仰が全国に広まったのは、室町末期で、三原もその頃、この地方の港町として栄えつつあり、当時、九つの町組が寄り合って始めたのが祭りの起こりと言われております。毎年2月の第2日曜日を含む前3日間、東町、館町、本町一帯で行われる神明祭りは、往時には旧暦1月14日に、とんどをまき、神棚を飾り、伊勢神宮の弊を観請し、あちらこちらの店先に翁人形やだるまを飾りつけ、東町、館町一帯に数百の露店が立って、身動きできない程の人出で賑わいました。
三原市へのアクセス
新幹線・広島 約20分(在来線約1時間15分)
・新大阪~三原→ 約1時間40分
車
・大阪方面から【福山西IC】下車 → 国道2号線を通り三原へ
・福岡方面から【本郷IC】下車 → 本郷町内を走行いただき、国道2号の看板をおって三原へ
■ 基本情報
- ・名称:広島県三原市