長崎半島の西4.5kmの沖合いに位置する端島(はしま)。軍艦島と呼ばれるこの島は、かつては海底炭鉱によって栄華を誇っていましたが、炭鉱の閉山とともに島民がいなくなり、現在は無人島となっています。世界遺産への登録の動きも出てきて今再び注目を集めている軍艦島をご紹介します。
1916年、日本で最初の鉄筋コンクリート製の集合住宅が建設されました。 この頃から、島の外観が軍艦に似ている事から「軍艦島」と呼ばれるようになりました。
1960年以降、日本のエネルギー政策の転換により石炭は衰退し、炭鉱は1974年にその幕を閉じました。
出典:http://ascii.jp/elem/000/000/410/410372/img.html
岸壁から見える廃墟。 壮観です!
65号棟。まるで映画のセットのようです。ここでたくさんの人が暮らしていたんですね。
出典:http://blog.livedoor.jp/kobateck/archives/cat_50026865.html
小中学校です。子供たちが元気に通っていた姿がかつては見られました。
出典:http://blog.livedoor.jp/kobateck/archives/cat_50026865.html
1.島の概要及び歴史
端島の歴史をひも解いていくと、19世紀にまで遡ります。初めて石炭が発見されたのが1810年のこと(異説あり)。 その後、江戸時代の終わりまでの採掘は比較的小規模でした。明治時代
1890年(明治23年)に鍋島孫太郎から端島の所有権を譲り受けた当時の三菱は、その後100年以上にわたって炭鉱として開発し、小学校の設立など居住するための基礎を築きあげました。1916年、日本で最初の鉄筋コンクリート製の集合住宅が建設されました。 この頃から、島の外観が軍艦に似ている事から「軍艦島」と呼ばれるようになりました。
昭和時代
1941年、石炭採掘量が最盛期を迎え、島の人口も徐々に増え始め、1960年の人口は5267人にものぼりました。人口の増加とともに島は都市機能を備え、住宅の他、小中学校、店舗、理髪店・パチンコ屋・寺院など一通りの施設を有していました。1960年以降、日本のエネルギー政策の転換により石炭は衰退し、炭鉱は1974年にその幕を閉じました。
2.島の見どころ
既に廃墟と化した幹部職員用の社宅(3号棟)。高台に建っており、保存状態も良い建物です。岸壁から見える廃墟。 壮観です!
65号棟。まるで映画のセットのようです。ここでたくさんの人が暮らしていたんですね。
小中学校です。子供たちが元気に通っていた姿がかつては見られました。