観光客のみなさんが、旅の中で目にする光景で“コレは一体ナニ?”と疑問に思うもの、気候風土や生活習慣が本土とはだいぶ違う沖縄では、きっとたくさんありますよね。沖縄生まれ沖縄育ちの私が、日常の中で出会った何気ないけれど『沖縄的だなぁ~』と感じたスナップをご紹介。
南城市大里西原(なんじょうしおおざとにしはら)区では、旧正月を前にした年の瀬のある日、琉球石灰岩の石積みのアーチの向こう側に向かって祈りを捧げる親子に出会いました。向こう側には、降り井戸式の湧き水『チチンガー』と呼ばれる井戸があります。沖縄の人々にとって“水”も大切な信仰の対象のひとつ。一年の感謝の御礼をしに来たとのことです。
昔ながらの佇まいが残る集落内を散策していると赤瓦屋根のいかにも沖縄らしい光景です。よく見てみると、石垣にいくつかの穴が空いています。これは、先の沖縄戦で受けた銃痕跡で、今もそのまま歴史遺産として保存しているのだそう。
見た瞬間、思わず“懐かしい~”と叫んでしまったこちらの鐘、というかボンベ。今でこそ集落内へのさまざまなお知らせは公民館からの一斉放送がありますが、私が子供の頃(昭和後半)までは、この鐘を金づちで打ち鳴らして合図をしていました。子供たちが登校する朝の時間、夕方などなど。集落内の人が亡くなった時には9回鳴らすという風に、知らせる内容によって叩く鐘の数も決まっていて、誰でも聴けば内容を判断できたものです。田舎の方へ行くと、集落の木にまだぶらさがっているこの鐘を見ることができると思いますヨ。その多くは、戦後の不発弾を利用したものがほとんどでした。歴史の面影ですね。
このコンクリート製の円柱のようなものは、雨水を貯める水タンクです。お湯を沸かす時は必ず、家の外にあるこの水タンクに“天水(てんすい)”を汲みに行かされたもの。周りを海に囲まれ大きな川もない沖縄では、真水は大変貴重なもの。たいていどの家も敷地内にこの水タンクがあったものです。
この愛らしい石ジーシ(石獅子)は南城市知念(ちねん)で遭遇。集落の入り口や高台に、魔除けや火難を防ぐ守り神として設置されてきたもの。県内各地でもまだまだ見ることができますので、ぜひ見つけてくださいネ。
ちなみにこちらは、八重瀬(やえせ)町にある『富盛の石彫大獅子(ともりのいしぼりうふじし)』。高さは150cm以上もあり、村落獅子としては県内最大で最古を誇り、県の有形文化財にも指定されています。先の沖縄戦での焼失もあり、また亜熱帯特有の高温多湿な気候も相まって、沖縄で木造の古いものに出会うことはたやすくありませんが、かろうじて石造のものたちは、まだまだ御達者です!
この奇岩のような不思議な橋、実は自然にできた形なんだそうです!
八重瀬町具志頭(やえせちょうぐしかみ)にあるこの橋は地元で『ハナンダー』と呼ばれるもので、琉球石灰岩により形成された天然の橋。もちろん、橋の上は、今でも人が通ることができるんですヨ。
そして、個人的にいちばん美しいと自負している沖縄の石造物がこちら! 私の実家の門中墓(もんちゅうばか=血縁のある一族が入る共同墓)です。今から190年以上も前に造られたものなんですヨ。南城市佐敷(なんじょうしさしき)の田舎にありますが、このお墓が造られた当時、農村ではまだ士族のような立派なお墓を造ることは許されてはいませんでした。そのため、琉球王府から検査が入り、墓を壊すように命じられたそうです。しかし、わが門中の人々は、自分たちが“知念按司(ちねんあじ)=上級士族”の子孫であることを主張し、無事、検査を通り抜けたのだと言い伝えられています。威風堂々たるこの佇まい、本土から来た友人を案内したら、“古墳みたいで美しい! 今回の沖縄で見たものの中でいちばんよかった”と感動してくれました(笑)。沖縄独特のこの亀甲墓は、市街地や郊外問わず、割と頻繁に目にすることができます。
こちらは、浜辺の散歩途中で見かけたシマアザミ。国内では奄美大島と沖縄でのみ見ることができます。花は主に2~5月に咲き、海外沿いの砂地や岩場で出会えます。
こちらは・・・・。私もこの日、人生2度目の遭遇の、車の屋根に植栽を施したエコカー。なんでもエアコンが故障したのをきっかけに始めたんだそう。ガジュマルやオオタニワタリがしっかり根付いていてビックリ。結構な高速運転でもびくともしないそうです。
なんだかとりとめもなくご紹介しちゃいましたが、地域の中に佇んでいるさまざまな光景は、ウチナーンチュの私にとって懐かしい再会もあれば、驚きに満ちた新鮮な発見もたくさん! みなさんも、ぜひ、沖縄の旅でたくさん出会ってくださいネ。写真は、南城市玉城(たまぐすく)にある“ヤハラヅカサ”で祈りを捧げている女性。琉球開びゃくの祖アマミキヨが降り立ったといわれる聖地です。
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昔ながらの佇まいが残る集落内を散策していると赤瓦屋根のいかにも沖縄らしい光景です。よく見てみると、石垣にいくつかの穴が空いています。これは、先の沖縄戦で受けた銃痕跡で、今もそのまま歴史遺産として保存しているのだそう。
見た瞬間、思わず“懐かしい~”と叫んでしまったこちらの鐘、というかボンベ。今でこそ集落内へのさまざまなお知らせは公民館からの一斉放送がありますが、私が子供の頃(昭和後半)までは、この鐘を金づちで打ち鳴らして合図をしていました。子供たちが登校する朝の時間、夕方などなど。集落内の人が亡くなった時には9回鳴らすという風に、知らせる内容によって叩く鐘の数も決まっていて、誰でも聴けば内容を判断できたものです。田舎の方へ行くと、集落の木にまだぶらさがっているこの鐘を見ることができると思いますヨ。その多くは、戦後の不発弾を利用したものがほとんどでした。歴史の面影ですね。
このコンクリート製の円柱のようなものは、雨水を貯める水タンクです。お湯を沸かす時は必ず、家の外にあるこの水タンクに“天水(てんすい)”を汲みに行かされたもの。周りを海に囲まれ大きな川もない沖縄では、真水は大変貴重なもの。たいていどの家も敷地内にこの水タンクがあったものです。
この愛らしい石ジーシ(石獅子)は南城市知念(ちねん)で遭遇。集落の入り口や高台に、魔除けや火難を防ぐ守り神として設置されてきたもの。県内各地でもまだまだ見ることができますので、ぜひ見つけてくださいネ。
ちなみにこちらは、八重瀬(やえせ)町にある『富盛の石彫大獅子(ともりのいしぼりうふじし)』。高さは150cm以上もあり、村落獅子としては県内最大で最古を誇り、県の有形文化財にも指定されています。先の沖縄戦での焼失もあり、また亜熱帯特有の高温多湿な気候も相まって、沖縄で木造の古いものに出会うことはたやすくありませんが、かろうじて石造のものたちは、まだまだ御達者です!
この奇岩のような不思議な橋、実は自然にできた形なんだそうです!
八重瀬町具志頭(やえせちょうぐしかみ)にあるこの橋は地元で『ハナンダー』と呼ばれるもので、琉球石灰岩により形成された天然の橋。もちろん、橋の上は、今でも人が通ることができるんですヨ。
そして、個人的にいちばん美しいと自負している沖縄の石造物がこちら! 私の実家の門中墓(もんちゅうばか=血縁のある一族が入る共同墓)です。今から190年以上も前に造られたものなんですヨ。南城市佐敷(なんじょうしさしき)の田舎にありますが、このお墓が造られた当時、農村ではまだ士族のような立派なお墓を造ることは許されてはいませんでした。そのため、琉球王府から検査が入り、墓を壊すように命じられたそうです。しかし、わが門中の人々は、自分たちが“知念按司(ちねんあじ)=上級士族”の子孫であることを主張し、無事、検査を通り抜けたのだと言い伝えられています。威風堂々たるこの佇まい、本土から来た友人を案内したら、“古墳みたいで美しい! 今回の沖縄で見たものの中でいちばんよかった”と感動してくれました(笑)。沖縄独特のこの亀甲墓は、市街地や郊外問わず、割と頻繁に目にすることができます。
こちらは、浜辺の散歩途中で見かけたシマアザミ。国内では奄美大島と沖縄でのみ見ることができます。花は主に2~5月に咲き、海外沿いの砂地や岩場で出会えます。
こちらは・・・・。私もこの日、人生2度目の遭遇の、車の屋根に植栽を施したエコカー。なんでもエアコンが故障したのをきっかけに始めたんだそう。ガジュマルやオオタニワタリがしっかり根付いていてビックリ。結構な高速運転でもびくともしないそうです。
なんだかとりとめもなくご紹介しちゃいましたが、地域の中に佇んでいるさまざまな光景は、ウチナーンチュの私にとって懐かしい再会もあれば、驚きに満ちた新鮮な発見もたくさん! みなさんも、ぜひ、沖縄の旅でたくさん出会ってくださいネ。写真は、南城市玉城(たまぐすく)にある“ヤハラヅカサ”で祈りを捧げている女性。琉球開びゃくの祖アマミキヨが降り立ったといわれる聖地です。
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